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■「悲しみの体験が、人をやさしくする」は、聖路加の日野原重明先生の言葉。

「悲しい体験は、人をどういう風に変えてしまうのだろうか?」となんとなく考えていたとき、ふと手にとった柳田邦男さんの本に書かれていて、「うん、そうだなぁ・・」と。

悲しく辛い体験をすると、それまで気がつかなかった人の立場になってモノを見ることができる。やさしい感情をもつまでは長い道のりがあるし、必ずしもそうなるとは限らない。

めちゃくちゃ苦しい内面との闘いと、周囲の支え、忍耐、いろいろな好条件があって、人のやさしさに気がつく。人の気持ちが理解できる人間になり、自分も人にやさしくしよう。と、おもうようになる。

カンタンには言えないことだけど、少しわかったような気がする。。


“ふと手にとった”とはいかにも偶然なことだけど、最近しょっちゅうそういうことがある。

本当は、偶然なんていうのはこの世にはなく、すべて“必然”なのではないか?

その都度「君の求めていた答えはこれじゃないのかね?」みたいに長老(って誰や?)が教えてくれる。

注意深く生きていると、いろいろ教えてくれるものでしょうかね。


ちなみに音楽でどんな曲に優しさを感じるのか?と訊かれれば、今朝聴いたブルックナーの交響曲第9番の第1楽章をあげる。

カール・シューリヒト指揮ウィーン・フィルのやわらかで艶のある響きは、ほんとうに大きなやさしさに包まれているようで、幸せな気分になれる。


■子どもの頃から、モノゴトの本質を見ようと、できるだけ流されない生き方をしてきている。

そういうオレ自身が書く文章って、基本的に明るいものじゃないな、と近頃気がついた。

前を向いてポジティブな生き方をしている人と話したり、文書を読むと、オレってひん曲がった奴なんだなぁとおもうもの。

これはモノゴトの本質を見ているのか、単に悪い部分にだけ目がいっているだけなのか、よくわからなくなる。

モノゴトの本質が明るくなければ、別段に明るく振舞うことはしないけど・・

オレの場合、できるだけモノゴトのいい面を見ることは必要なことなのかもしれない。


どんな人でもいろんな側面をもっている。

その人が気に入っている自分、嫌いな自分、人なんざ複雑なものだ(漱石の“猫”目線)。

オレにも様々な自分が心んなかにある。ジキルとハイドじゃないけど、いまだに把握しきれない自分が大勢いる。

おそらく死ぬまですべての自分を把握することなんて無理だし、そんなことしなくてもいい。

必要なところだけ知っていればいいだけの話だ。


ここで言いたいのは、どんな状態の自分でも誤魔化さない方がいいということ。

気に入っている部分だけでなく、気に入らない部分の自分もそのまま受け入れる。

怒るときはしっかりと怒る。悲しいときはめちゃくちゃ泣いたっていい。

感情に蓋をしないで、オープンにしておく。

感情をそのまま表すことが本来は自然なことなのだ。

たまに見かける理不尽な人の例はここには含まないが(そういう人は感情を制御することが必要だ^^;)


オレの場合でいうと、人に対してめったに怒らないという性質がある。

世の中の出来事に対しては憤りを感じてばかりいるけど、周囲の人達と衝突があっても怒るという感情がさほど出てこないのだ。

でも、この前仕事絡みで、久しぶりに怒った。

その直後、「こんなことで怒るなんてオレらしくもない、大人気ない・・」と、怒りを閉じ込めようとした。

でも、閉じ込めることはしなくていい。これは怒って当然のことだ。それを封じ込めることが間違っている。そう思い直した。

そうとらえなおすと、心がスーッと通る感じになる。


湧きでた自然な感情はそのままでいい。誤魔化す必要はまったくない。


■昨年の日本の人口当たり自殺者割合は、G8の中でロシアに続いてワースト2。

この数値の意味するところはなにか。

生活・労働環境の悪化。最低限の生活が保障されない不安。将来に明るい展望が見えない社会状況・・

いろいろあるだろうけど、根っこは“任せっきりにしてしまう意識の万延”だとおもっている。

経済不況による生活苦の増加は世界共通。

政府による支援は国ごとに違う。

まだよく調べていないけど、日本政府の対策はあまりよくないだろう。それによる突出かもしれない。

でももっともっと根本にある原因。

自分みずからの力だけで何かをやろうとする気力、ゼロからイチを創造する意欲、そういう意識のなさの万延かと。

自己責任という言葉は嫌いだし、そういうことではない(自己責任は“上”の者が立場を正当化するために都合よく使う言葉でしかない)。

会社で働いて、休みは家族で1,000円で遠くへ出かけて、また働いて、出世して、定年になって、でもまだまだ元気いっぱい。死ぬにはまだまだほど遠い。なにやろう。なんもない。でもかみさんは友達と習い事で充実している。オレの人生ってなんだろう。わからない・・・ものすごい大雑把に表現しているがこういう事例はおおい。

昔の社会は右肩上がりだし、働く分だけ充実感があった。世の中がどんどん発展しているのが目で見える。そして充実の実感が残っているところへ死期がやってくる・・正しくない言い方かもしれないけど、良いタイミングで一生がおくれていた。社会に人生を預けても充実できた。


今はその時代ではない。


会社や周囲の任せっきりの人生では、充実は感じられない。


でも、もともとそういうことだとおもう。もとに戻っただけ。

その方が本当のおもしろさに繋がる。

新しいコミュニティーに出会う。自らの足で新しい環境に飛び込む。

自分だけの意思で前にすすむ。

それまでの環境を一旦断絶して、無の状態であらためて周囲を見る。

生きる気力が出てきて、何かに取り組んで忙しく動いていると、妙な失望なんかしなくなるんじゃないか。

そうおもうんです。

与えられたものでは満足できないものだ。



じゃんじゃん!