いつも持ち歩いているWalkmanにはセルゲイ・プロコフィエフの全ての交響曲と2つのヴァイオリン協奏曲、ピアノ協奏曲(1・3番)が入っている。

家でも外にいるときでもプロコフィエフをよく聴いている。物語を考えるときでも聴いている、もっともしっくりくる音楽だ。

彼のピアノ協奏曲の背景を調べるため、家にあるプロコフィエフの本みると、唯一赤ペンで下線が引かれていた文章があった。

「芸術においては嫌悪することを学ばなければならない。でないと君自身の音楽が個性を失う」という部分。

これはロシアバレエ興行師のディアギレフがプロコフィエフにした忠告。

ずっとまえに自分が読んだとき、ここは重要だとおもったのだろう。


これはなにかの偶然か。


前の記事で「漫才でも芸術でも嫌悪感くらいはないとおもしろみはない」と書いたばかり。

その“嫌悪”という言葉がすぐにまた目のまえにあらわれた。

作曲家の個性を守るために嫌悪をもじさない(もうひとつ踏み込んで、個性を守るためには嫌悪はある程度あった方がいいともおもう)

プロコフィエフは自己の芸術性を出し切るには嫌悪が必要だった。


さて、自分の場合はなんだろうと考えた。

すぐに思い浮かんだのは“ブルレスカ”

マーラーの交響曲第9番(ニ長調)の第3楽章の指示はRondo-burlesca。

ロンド形式で、buelesca(ブルレスカ、“ふざけた”“いたずらっぽく”)という意味。

ただ、マーラーは“ふざけた感じ”で演奏してくれ、ではなく“きわめて反抗的に”演奏してくれと言っている。

このブルレスカがプロコフィエフで言う“嫌悪”にあたるのでは?


思い返すとオレはずっとブルレスカの指示でもされているように生きてきた(笑)

「bob-burlesca」と天の誰かでも言っているじゃないか?

どんなに真面目な環境にいてもどこかにおもしろい要素ってないものか?と探しているし、ときたま実践してきた。

というより、あまり意味のない堅苦しい場面、ただただみんなが難しい表情をしているだけの空気をやわらげたいというか、「別にかしこまらなくてもいいじゃん、もっと楽しんだっていいんだぜ」ってときにわざとふざけたことを言って、場の空気をちょっとかき回す。そんな感じか。

これはときには反発をかう。

冗談がわからない相手に本気で怒られたりした。

「これだから関東人はかなわんわ・・」(って俺も生まれも育ちも東京下町だけど^^;)


場の空気をかき回すといっても、その場にいる誰かを非難するとかそういう品のないことはしない。

そのとき思い浮かんだ罪のないアホなことを言うだけだ。

でも、怒られながらも気持ちの底で、こういうわざとふざけたことをする要素をなくしちゃいけないと感じていた。

これは傍からみたら馬鹿げたことだけど、自分には大切なことだと。


物語を書いていても、そういう要素が出てくる。

それがうまく出た作品はなんというか、ほんとたのしいものだ。


みなさんは失ってはいけないとおもっている大切な要素ってありますか?それはどんなことでしょう?



じゃんじゃん