■この前ABCにて。平積の文庫コーナーで川上弘美さんや開高健さんの本をパラパラとながめていた。

「これおもしろいなぁ、買おうかな」とおもったが、とりあえずやめて(笑)そのとなり、さらにそのまたとなりの本もパラパラと見てみると「これまたおもろい」

知らない作家さんのでもえり好みしないで見るとけっこう楽しいもので、しばらくそうやってブックサーフィンしていた。

こういう読み方っていいもんだ。そのうち新たに気に入る作家さんに行きあたるだろうし。それだけ世界が広がる。

おもしろいけど、読みたい本がじゃんじゃん出てきて収集がつかないのには困る^^;


で、そうしているうちにたけしさんが最近だした『漫才』を手にとった。

これには参った。

これはツービート全盛期の漫才に現代ネタを交えて書かれたもので、そうとうアクがつよい。

久しぶりのツービートの爆発的な漫才に腹の底から笑った。

この本の冒頭にも書かれていた。

昨今の漫才の小奇麗さというかこじんまりまとまった感は、本来の漫才の姿ではない、と。

これは漫才に限らずすべてのお笑い、もっと広く言えばTVや映画にも当てはまるとおもっている。

そつのない無難な範疇にとどまっている。狭い枠からはみ出ようとしない。

今のお笑いはアドリブからうまれるスリルや面白さはなく、キチンと練習されたしゃべりを舞台で披露するだけのようにみえる。

お笑い芸人というより単なる俳優さんだとおもっている。

お笑いに役割があるとすれば、世の中のヘンに凝り固まった風潮をぶっこわす、かき回す、そういうカンフル剤的なことだ。

だから時には世の中(観客)に嫌がられたっていい。

反対に嫌がれないものは、世の中の平均から逸脱しない“単なる日常”でしかない。

世の中の顔色を見て、聴衆から嫌われないように気遣ってネタをつくったって、大したものはできるわけがない。

日常から脱線して「あっ!」といわせるものがないと面白くないし、すごいものを見たという興奮がない。

すごい体験をするとそのまま生きるパワーになる。

コンサートでもすごい演奏を聴くと、それがそのまま魂にガソリンが注がれ、ボワッと燃えあがり熱くなる。

そうやって非日常を経験していくことが人を元気にしていくんじゃないかな。

少なくともオレの場合はそうだ。


『漫才』には、所々「これは言い過ぎだろ」って感じるところがある。

激しい。

でも大笑いしてしまう。

こういう笑は久しぶりで爽快だった。

だから今度買おう。たけしさん、ちゃんと買いますよ。



■それと最近、ブログの記事がおろそかになっている。

これは、自分にとって大切なこと(シナリオや人との付き合い)を優先に時間をかけているからだ。

近頃こういう生き方をしているせいか以前とぜんぜん違う過ごし方をしている。

たまに会う人にいまの近況を言うと驚かれる。

まあ、今のほうが自然な自分の姿だとおもっているので、とてもいいかんじだ。

ブログは回数が減る分、そのときおもっていることをストレートに書いていくので、これからもテキトーに見ていってください。


今週はこんな感じです^^



ちゃんちゃん