■この前のSONGSは女性ボーカルの特集。おもろかった。

こういう歌は以前はほとんど関心がなかったんだけど、いまごろになってなぜかこころに響く。

なかでもユーミンと今井美樹さんがよかった。

さっそくCDを借りてきて聴いている(笑)

『やさしさに包まれたなら』とか『雨音はショパンの調べ』とかすげーいいもの。

これはカラオケで歌うしかないな。近々行こうっと^^



■これとはまったく別の話しだけど、いつもおもっていることを更に強くおもうようになっている。


どんな状況においても、まず自分の意識が先頭にないとならない、と。


○○会社に勤めている、○○学校の生徒だから、結婚している、未婚だから、20歳だから60歳だから、男だから女だから、日本人だから、とか、あらゆるすべての“立場”より、まずは自分自身の存在を前においておく。

日本社会で生きているとそういうことは難しいし、なにも完全に“立場”から切り離す必要もないのだけど、いまこれが大切なことだとおもう。

なぜ、そうおもうのか?

現代のじわじわすすんでいる様々な弊害の原因の最たるもの(アバウトな表現ですんません^^;)が、日本人のなかにいつのまにか巣くってしまった“自己をないがしろにして周囲に合わせすぎる生き方”なんじゃないかとおもうんです。

このまえ会社で人と話していて「ながいもの巻かれるのは当たりまえ。抵抗することなんて微塵もおもわない」と言った人がいて、唖然とした。

「だって抵抗しても無駄だから」という少しは闘いを意識するのではく、はじめっから何もしようとしない消極的かつ無抵抗な意識。

そこには「そもそも改善なんか望んでいない」そういう意識が見え隠れしている。

「大勢に抵抗するなんて馬鹿げている」とおもう人はいるだろう。どの時代にも。

でもそうおもう人の数が多くなってくると世の中のバランスが崩れる。いまは、そのバランスは大きく崩れてしまっているんじゃないか、とおもう。

そもそもそういう周りに頼る依存する生き方は自分自身を粗末にしているのではないか。

自分の大切な“命”を自分から切り離して、誰とも知らない権力者にゆだねてしまっている。

大袈裟な言い回しかもしれないが、そんなんで満足してしまっている。


しかし、いま働いている会社が特にその傾向が強いだけなのかもしれないなぁ・・

他の環境の人と話すとけっこう自己を前に出して生きている人が多いもの。

自分の意思と力で人生を開拓していく人が。


それと、小田実さんの著書にこんなことが書いてあった。

スクール(学校)の語源は、ギリシャ語の“スコレー”で暇という意味、なんだと。


学校は暇なところだというのが源だ。

暇でなければモノゴトをゆっくり考えない。つめこみ教育では自ら考える能力が育たない。自発性もおなじく育たない。


言われたことをそつなくこなす能力は身につくが、自分オリジナルで考えて前にすすむ能力は育たないだろう。

周囲の状況に自分を適合させて生きていく。そんな人が多くなっても仕方のないこの国の環境。

同調圧力社会の傾向は教育が原因なのか。


それにしても、大勢順応主義やことなかれ主義にはうんざりするわ。



■音楽はベートーヴェンのピアノ・ソナタ「テンペスト」「告別」に夢中になっている。

この2つは、かなりロマン的で烏賊にもベートーヴェンらしい芳醇な密度の濃さがあじわえる。

数ある名演のなかでもバックハウスのカーネギーホールのライヴがいい。

決して急がないテンポの重厚な演奏。

今度スコアを買って見ながら聴いてみよう!



じゃんじゃん