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■中高生のケイタイ漬けの実態が文部科学省の調査で明らかになったとの記事。

一日のメール回数が50回以上の割合が2割だったかな・・

しかし、ケイタイ漬けの子ども実態はこの調査結果を見るまでもなくすでにわかっていたこと。

ただ、国の本格的調査により公的に認識されたというのはそれなりに意味があるのだろう。


これで思ったのは、これはなにも中高生に限った現象じゃなく、もっと広範囲におよんでいることで、大人だってある意味立派なケイタイ漬けで、“危機”は国中にひろがっているということ。

簡単に言うと、多くの日本人はケイタイメールに依存しすぎで、円滑な対人関係を求めて使っているはずが返ってギスギスしてしまい、個々人は精神的に追いやられてしまっている。

さらに、これでコミュニケーションをとった気になってしまい、軽薄な対人関係しかそこには残らない。

また深くじっくり考える時間も与えられないので思考能力すらも低下していく。

すぐさま返信をしなくちゃいけないという焦りは、とりあえず誤解のないように、相手に不愉快な思いをさせないように、と、思い込む。お互いにそういうルールができて縛りをかけてしまう。

必然的に短時間のうちに簡易的な文章をつくらないとならない。

文章で足りない部分は絵文字で補う(俺もやるけど)

こういう、常にケイタイから逃げられない生活は、気持ちのどこかで何時もケイタイに束縛され続けていて、心からゆっくりと自由になることを許されない。

たまにはケイタイから離れる必要があるのだけど、頻繁にメールをやる相手が多いと、そうもさせてくれない。

他国の実情は分からないが、ケイタイは日本人にすごくあう道具だということだろう。

“合う”というのは良い意味と悪い意味がある。

日本の国民性、いまだに集団を重視し、集団からはみ出すヤツは許されない(ここにも良くも悪くもそれぞれの側面がある)、それと、極端に時間に几帳面な気質。

これにケイタイという道具がピタッと適合した。

でも、ただそれだけ。

ケイタイと言ってもそれは単なる電話機であって、簡易メール手段でしかないのに、メーカーは様々なきらびやかな付加価値をつけて、大衆の関心を一身に集め、その獲得に成功しただけだ。

メーカーは毎度のことながら本当の意味で大衆のことは考えていない。売れて儲かれば良いということだけだ。

あとになって有害な情報を見えなくしようとか、そういう弊害の対策をとるが、それは問題が頻発してからずっと後のこと。

単なるケイタイに優先権を獲られてしまっている。

人はケイタイを操るつもりがいつの間にかケイタイに翻弄されている。

それに、そのケイタイ端末の先にいる友達もその友達も同じく翻弄されている。

チェーンのように硬い翻弄のつながり。

50通の内容は知らないが、その労力はきっと本人も気がつかない部分でダメージを受けているだろう。


これはうまい道具の使い方とはいえない。

どんな道具でも使い方によっては有益になるし有害になる。

正しい使い方を模索し、啓蒙することが求められるのかも。

これは国全体でやるしかないのではないか。

タバコの害が公的に認められ、タバコ会社はしかたなく吸いすぎによる悪影響をパッケージに書くようになった。

時代はそれをうけ、どんどん喫煙者は肩身の狭いおもいをすることになっている。

ケイタイもこうなってくるとなんかしらの有害情報の表示が必要なのかもしれない。


ただ・・

それがうまくいったとして、メール依存度もどんどん減ってきたとする。

その次にその人たちはなにに時間をかけるのか?が気になる。

起きている間は人はなんかしらしたくなるもので、暇なら何かで時間をつぶそうとする。

大切であるはずのボーっとするなにも考えない時間は重要視されなくなってきてるから、一体なにに時間をかけるのだろうか、と。

ここがなにもないと、結局は似たようなことの繰り返しでしかならない気がしている。

何か自分にあったもの目指すべきだ!とか、そういう固いことは言わない。

でも根本の意識改革がないと、なんの解決にもならない。

そういう対策こそがもっとも大切なはずだ。

ケイタイよりもおもしろいと思うものを企業が提供するのではなく、各人が自分で求める。自分で探す。

そういう意識があるのかどうか。

与えられるだけの情報で、同じ場所に行列して、それで満足することに慣れすぎている。

それとはまったく反対に、自分一人の足で歩いて、何かおもしろいものを見つける。

そういうことこそがおもしろいとおもうんだけど。




じゃんじゃん