■自分の人生の先にはきっとこんなことがあるのだろう・・・
と、漠然と想像していて、その地点までいってみると、ぜんぜん違うことになっている。
ガキのころ、「俺が高校生になったら、彼女とかいるんだろうな・・」とおもっていたけど、実際はそんな人はいなかった。
「大学にいったら、勉強はしないだろうけど、何かを目指してがんばっているのかな・・」とおもっていたけど、ルービーとマージャンの毎日だったし、「働くんだったら・・」「結婚したら・・」「子どもができたら・・」とその時々に想像はしているのだけど、そのどれもこれもがことごとく当たらない。
あらためて考えると「なんなんだこれは?」だ。
これは、たぶんあれかね、未来というものを“世間一般的なイメージ”で見てしまっているからなのか。
子どものころに漠然と抱いていたそういう未来像は(とくに大きな夢がなかったせいか)一見明るく楽しそうだけど、実は味気ないもので、当時はそれに気がついていない。
自分独自のオリジナル要素をその“世間一般”と混ぜあわせて、フライパンで炒めて、塩胡椒で味を整えて、それなりに変化を加えてイメージしているのだけど、実際は違ってくる。
原因は、予期しえない様々なモノゴトが身の周りに起きて、じゃんじゃん自分に変化がおこる。変化させられていくから。
だから、人生は先のことなんかわからなくて、思うとおりにいくわけがないようにできている。
こういうのは、とてもおもしろいとおもう。
何もかも説明し解明しようとする現代の風潮は、うっとうしいし、さして意味がないことだとおもう。
さして意味はなく徒労かもしれないが、それを探求する行為自体は好きだ。
でも、最終的にはわからない。
「なんだ、それ?」って感じだよね(笑)
■シナリオ学校では、自分の作品をみんなの前で読みあげる。
聞いている方は、読んでいるシナリオのイメージを頭ん中で映像化する。集中して聞いていないと、話がみえなくなる。
読んでいる方は、懸命に書いた自分の作品を伝えようとがんばる。
これは、人前で話すとてもいい訓練になる。
また、他人の作品の批評もする。ここでは思ったとおりのことを伝える。
時には厳しい意見もあるが、それはその人が感じた意見なので、尊重する。
時間の制約もあって、授業は実に効率的にすすむ。
会社の会議ではこうもいかない。
会社というところは、あまり自分の考えを言わない。
というか、どういうわけか言いづらい雰囲気があって、お互いに言いたいことを言わずに終わっている。
それは自分としては意味がなく嫌だから、がんばって言うようにしている。
しかし、それはそれで体力を使う・・
シナリオ学校での授業は、みんなの前でも自然と意見を言えるようになる。
先日、子どもの授業参観があった。
平日だったせいもあって、お父さんは俺の他に1名しか来ていない。
子どもは練習の成果を1人ずつ発表していく。
低学年だからまだ幼くかわいいが、緊張感はつたわる。
みんな一生懸命、渾身の発表だ。
全員がおわって。
「では、お父さんお母さんから感想をお願いします!手を上げてください!」と子どもがいう。
きっと多くのお母さんが挙手して、みんなのがんばりを褒めるのだろう。とみていた。
でも、誰も手をあげない・・
しばらく間があって、反射的に自分が手をあげていた。
そして立ち上がって言った「みんなのがんばりがよく伝わってきました。とてもおもしろかったですよ。どうもありがとう!」
以前の俺ならこうもスムーズに意見を言わないが、ごく自然に緊張もしないで言っていた。
これもシナリオ学校での発表のおかげかな、とおもった。
今週はこんな感じですかね^^
じゃんじゃん
と、漠然と想像していて、その地点までいってみると、ぜんぜん違うことになっている。
ガキのころ、「俺が高校生になったら、彼女とかいるんだろうな・・」とおもっていたけど、実際はそんな人はいなかった。
「大学にいったら、勉強はしないだろうけど、何かを目指してがんばっているのかな・・」とおもっていたけど、ルービーとマージャンの毎日だったし、「働くんだったら・・」「結婚したら・・」「子どもができたら・・」とその時々に想像はしているのだけど、そのどれもこれもがことごとく当たらない。
あらためて考えると「なんなんだこれは?」だ。
これは、たぶんあれかね、未来というものを“世間一般的なイメージ”で見てしまっているからなのか。
子どものころに漠然と抱いていたそういう未来像は(とくに大きな夢がなかったせいか)一見明るく楽しそうだけど、実は味気ないもので、当時はそれに気がついていない。
自分独自のオリジナル要素をその“世間一般”と混ぜあわせて、フライパンで炒めて、塩胡椒で味を整えて、それなりに変化を加えてイメージしているのだけど、実際は違ってくる。
原因は、予期しえない様々なモノゴトが身の周りに起きて、じゃんじゃん自分に変化がおこる。変化させられていくから。
だから、人生は先のことなんかわからなくて、思うとおりにいくわけがないようにできている。
こういうのは、とてもおもしろいとおもう。
何もかも説明し解明しようとする現代の風潮は、うっとうしいし、さして意味がないことだとおもう。
さして意味はなく徒労かもしれないが、それを探求する行為自体は好きだ。
でも、最終的にはわからない。
「なんだ、それ?」って感じだよね(笑)
■シナリオ学校では、自分の作品をみんなの前で読みあげる。
聞いている方は、読んでいるシナリオのイメージを頭ん中で映像化する。集中して聞いていないと、話がみえなくなる。
読んでいる方は、懸命に書いた自分の作品を伝えようとがんばる。
これは、人前で話すとてもいい訓練になる。
また、他人の作品の批評もする。ここでは思ったとおりのことを伝える。
時には厳しい意見もあるが、それはその人が感じた意見なので、尊重する。
時間の制約もあって、授業は実に効率的にすすむ。
会社の会議ではこうもいかない。
会社というところは、あまり自分の考えを言わない。
というか、どういうわけか言いづらい雰囲気があって、お互いに言いたいことを言わずに終わっている。
それは自分としては意味がなく嫌だから、がんばって言うようにしている。
しかし、それはそれで体力を使う・・
シナリオ学校での授業は、みんなの前でも自然と意見を言えるようになる。
先日、子どもの授業参観があった。
平日だったせいもあって、お父さんは俺の他に1名しか来ていない。
子どもは練習の成果を1人ずつ発表していく。
低学年だからまだ幼くかわいいが、緊張感はつたわる。
みんな一生懸命、渾身の発表だ。
全員がおわって。
「では、お父さんお母さんから感想をお願いします!手を上げてください!」と子どもがいう。
きっと多くのお母さんが挙手して、みんなのがんばりを褒めるのだろう。とみていた。
でも、誰も手をあげない・・
しばらく間があって、反射的に自分が手をあげていた。
そして立ち上がって言った「みんなのがんばりがよく伝わってきました。とてもおもしろかったですよ。どうもありがとう!」
以前の俺ならこうもスムーズに意見を言わないが、ごく自然に緊張もしないで言っていた。
これもシナリオ学校での発表のおかげかな、とおもった。
今週はこんな感じですかね^^
じゃんじゃん