■今朝、電車で河合隼雄さんと柳田邦男さんの対談本を読んでいた。

そのなかの一節。


・・・われわれは覚悟もなく生きているから、父と子の対話がまったく成立していない。

ふだんでもそういう対話を成立させようと思ったら、背後に死がなければならない。

ところが、みんな死のことを忘れて対話しているから、それはほんとうの対話になっていない。

残念ながら、現代人は(重大な病気や事故のときのように)死に直面したときだけ対話ができるという、とてもおかしな状況になっているわけです・・・


なるほどな。近代医学の発展により我々は長寿を手に入れ、死は遠のいた。

それは長年人類が希求した素晴らしい結果には違いないのだけど、失った代償はあるということだ。

中身の薄い会話は、現代人のこころの孤独につながっている。

深く未知のこころの話をするような間柄でなくてはならない理由はなくなり、軽くても表面上は生きのびていける。そういう世の中。



そして、この文章は藤沢周平さんの代表作『蝉しぐれ』を思いださせてくれた。

切腹を命じられて目前に死をむかえている父(叔父)と息子(文四郎)の対話。

父はすさまじく毅然とした態度で、最後の話を文四郎にする。

「はげめ、文四郎」

言葉数はけっして多くはないが、とてもこころに残るシーンだ。

その後の文四郎も印象的。


・・・文四郎は涙が頬を伝い流れるのを感じたが、声はふるえていないと思った。

文四郎「だが、おやじに会っている間は思いつかなかったな」

逸平「そういうものだ。人間は後悔するように出来ておる」

文四郎「おやじを尊敬していると言えばよかったんだ」・・・


ここも今おもい返しても、身が引きしまる思いだ。

『蝉しぐれ』をまた読み返したくなってきた。



■それと、最近は予防のため電車や人通りの多い場所ではマスクをしている。

それまでほとんどしたことがないので、妙な感じだ。

顔のほとんどがマスクで隠されてしまうからなのか、目だけで表情をつくろうとするみたいだ。

無意識にそうなってしまう。

駅を歩いていて、ガラスに映った自分のマスク顔を見ると、なぜか目つきがすげー鋭くて危ないオッサンみたいなのだ(笑)

こっちはしょーもない話ですね^^;


ちゃんちゃん