■会社の帰り道。そのまま家に帰るのはなんだか味気ない。どこかで一人っきりの時間をたのしもうと、落ち着けるサテンをさがした。
ターミナル駅のコーヒーショップをのぞく。
案の定、お店のなかは煙草をふかしながらギョロリとした目つきで通行人を品定めしている人たちでうめつくされている。
他のお店もみたけど似たようなもので、“一人の時間を楽しめる”雰囲気なんかじゃとてもない。
そういえば地元駅周辺には個人経営のサテンが二件ほどあったっけ、ためしに行ってみるか。
ちゅーわけで、地元駅に行ってみると、そのサテンがない。
いつのまにかつぶれていた。二件とも。
最近この駅にはチェーン店のコーヒーショップとかがオープンしたから、みんな安くて効率的なそっちの店を利用するようになったのだろう。
よっぽどじゃないと個人経営店はチェーン店に負けてしまう。郊外ではそういう味気ない状況になっている。
僕はチェーン店でも老舗のサテンでも、落ちつける空間とうまいコーヒーがあればどこでもいい人間。
だからというわけではないが、ドーナツ屋にいくことにした。
ドーナツ屋に入るとまあまあ空いていて落ちつけそう。
ショーケースのところで、塾帰りの小学低学年の男の子に対して、若い女性の店員さんが誰に対しても使うマニュアル敬語で注文を聞いていた。
男の子は5つほどのドーナツを頼んでいる。敬語でなく、フツウの子ども言葉で。
それに対し、とっても丁寧に話すマニュアル敬語の店員さん。
毎度の光景だが、「おいおい・・」ってかんじだ。
もちろん店員さんに悪気なんかなく、店から教わったとおりやっているだけだけど、これはどう見ても、ヘンだ。
人間味あるフツウのやりとりなんかじゃなく、店員さんと男の子の間には深い溝が見える。落ちたら二度と這い上がれないようなとても深い溝が・・
マニュアル接客は営業上の理由から取り入れているお店が多いけど、僕自身はやっぱり好きじゃない。
それはお店側の都合でしかなく、ひとりひとり違うお客の気持ちや世の中の影響のことを考えていないから。
「そうかといわれても、効率が悪くなるやん」
それはそうだ。ひとりに時間をかけては効率が悪くなって売上げが落ちる。
“人間味”と“効率”の両立はむずかしい。
むずかしいけど、出来ないことでもない。
ここにもどこかしら突破口があるはずだ。
それか、どうせマニュアルを使うのなら子ども用のマニュアル言葉ってものはないのか?
「ぼーや、ぼーやはドーナツ好きなんだね!でもそんなにいっぱい食べちゃうと太っちゃうぞ!勉強とドーナツだけじゃなくちゃんと外で遊ぶんだよ。またきてね。ばいばーい!」とかさ^^;
で、そのドーナツ屋で僕はアップルパイみたいなヤツとコーヒーを注文。
店内のBGMが気になったので、お店のあんちゃんに「できたらでいいんすけど、店内放送の音量、ちょっと落としてくれないっすかね?」って言ってみたら、そのとおりやってくれた。
このお店はいつも商品CMの放送を大きめな音量でながしていた。
■ずっと以前からこうしたファストフードのマニュアル口調は気になっていた。
これをテーマにした長い物語を書こうとおもい、スケッチをすすめている。
どんなモノゴトでもそうだけど、1つのことを追求していくと、それまで自分が漠然と思っていたことが、「実はそうではないんじゃないか」とか、さらに奥のことが見えてきて、「そっか!コレはそういうことだったんだ!!」という具合に変化していくもの。
マニュアルのことを考えて、街なかでその光景を見たり実際に接したりすると、悪いことばかりでなく、「案外この国に合っているのかもな・・」とか、「この適度な距離感は実は心地いいかもしれない」、などと肯定的におもえてきた。
“マニュアル社会を風刺したい!!”という要である熱い気持ちがぐらついてきて、「俺は一体ナニを訴えかけたいのだろうか?」とわけがわからなくなってきて、白紙にもどってしまった。
またはじめっからスタートしなければならない。
考えて、先にいくと案外違った結論にいたったりするものだ。
そしてそれは“一般社会”とは違うモノの見方だったりする場合があるが、そういう辿り着いた結論は自分の自信につながるので、こういう混迷は意外と好きだ。
じゃんじゃん
ターミナル駅のコーヒーショップをのぞく。
案の定、お店のなかは煙草をふかしながらギョロリとした目つきで通行人を品定めしている人たちでうめつくされている。
他のお店もみたけど似たようなもので、“一人の時間を楽しめる”雰囲気なんかじゃとてもない。
そういえば地元駅周辺には個人経営のサテンが二件ほどあったっけ、ためしに行ってみるか。
ちゅーわけで、地元駅に行ってみると、そのサテンがない。
いつのまにかつぶれていた。二件とも。
最近この駅にはチェーン店のコーヒーショップとかがオープンしたから、みんな安くて効率的なそっちの店を利用するようになったのだろう。
よっぽどじゃないと個人経営店はチェーン店に負けてしまう。郊外ではそういう味気ない状況になっている。
僕はチェーン店でも老舗のサテンでも、落ちつける空間とうまいコーヒーがあればどこでもいい人間。
だからというわけではないが、ドーナツ屋にいくことにした。
ドーナツ屋に入るとまあまあ空いていて落ちつけそう。
ショーケースのところで、塾帰りの小学低学年の男の子に対して、若い女性の店員さんが誰に対しても使うマニュアル敬語で注文を聞いていた。
男の子は5つほどのドーナツを頼んでいる。敬語でなく、フツウの子ども言葉で。
それに対し、とっても丁寧に話すマニュアル敬語の店員さん。
毎度の光景だが、「おいおい・・」ってかんじだ。
もちろん店員さんに悪気なんかなく、店から教わったとおりやっているだけだけど、これはどう見ても、ヘンだ。
人間味あるフツウのやりとりなんかじゃなく、店員さんと男の子の間には深い溝が見える。落ちたら二度と這い上がれないようなとても深い溝が・・
マニュアル接客は営業上の理由から取り入れているお店が多いけど、僕自身はやっぱり好きじゃない。
それはお店側の都合でしかなく、ひとりひとり違うお客の気持ちや世の中の影響のことを考えていないから。
「そうかといわれても、効率が悪くなるやん」
それはそうだ。ひとりに時間をかけては効率が悪くなって売上げが落ちる。
“人間味”と“効率”の両立はむずかしい。
むずかしいけど、出来ないことでもない。
ここにもどこかしら突破口があるはずだ。
それか、どうせマニュアルを使うのなら子ども用のマニュアル言葉ってものはないのか?
「ぼーや、ぼーやはドーナツ好きなんだね!でもそんなにいっぱい食べちゃうと太っちゃうぞ!勉強とドーナツだけじゃなくちゃんと外で遊ぶんだよ。またきてね。ばいばーい!」とかさ^^;
で、そのドーナツ屋で僕はアップルパイみたいなヤツとコーヒーを注文。
店内のBGMが気になったので、お店のあんちゃんに「できたらでいいんすけど、店内放送の音量、ちょっと落としてくれないっすかね?」って言ってみたら、そのとおりやってくれた。
このお店はいつも商品CMの放送を大きめな音量でながしていた。
■ずっと以前からこうしたファストフードのマニュアル口調は気になっていた。
これをテーマにした長い物語を書こうとおもい、スケッチをすすめている。
どんなモノゴトでもそうだけど、1つのことを追求していくと、それまで自分が漠然と思っていたことが、「実はそうではないんじゃないか」とか、さらに奥のことが見えてきて、「そっか!コレはそういうことだったんだ!!」という具合に変化していくもの。
マニュアルのことを考えて、街なかでその光景を見たり実際に接したりすると、悪いことばかりでなく、「案外この国に合っているのかもな・・」とか、「この適度な距離感は実は心地いいかもしれない」、などと肯定的におもえてきた。
“マニュアル社会を風刺したい!!”という要である熱い気持ちがぐらついてきて、「俺は一体ナニを訴えかけたいのだろうか?」とわけがわからなくなってきて、白紙にもどってしまった。
またはじめっからスタートしなければならない。
考えて、先にいくと案外違った結論にいたったりするものだ。
そしてそれは“一般社会”とは違うモノの見方だったりする場合があるが、そういう辿り着いた結論は自分の自信につながるので、こういう混迷は意外と好きだ。
じゃんじゃん