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■電車内の広告を何気なくみていて、なんの宣伝だったかた忘れたけど、クチコミに関する広告があった。

「ここにもか・・」

ここにもか・・どころか、いまやそこらじゅうにクチコミは蔓延している。

先だっても同僚と映画の話をしていて、「俺も○○観たっす。お金払って観にいくのでクチコミで評判の良いのを観るっす」と言うのを聞いていて、なんだか力が抜けた。

誰のともしれない赤の他人の意見をそこまで過大評価することの不可解さと、自分の考え・意思がそこにはほとんど伺えない不思議さというか不気味さが「なんだかなぁ・・」と思わされたのだ。

食べ物屋を選ぶのでもクチコミの信用度は相当高い(店側もそれを利用している)。

俺も多少はクチコミ情報を目安に選ぶ場合がある。

でもそれはそれほど信用していない。

「ふーん、そうなんだ・・」くらいにしか思わない。

むしろ「本当なのか?」と疑るくらいだ(まあ、それは元来から疑りぶかい性格だってこともあるだろうが)

誰かが発掘したモノより、自分の足で新たらしく発掘したいという気持ちがある。

映画も音楽も一般的な評判はいらない。

できるだけ事前に知識をとりいれず、自分で観に(聴きに)いって、自分の感覚だけで楽しむようにしている。

当たろうが外れようがそれはそのとき次第。

当たりだけを求めているわけではない。


感覚はみんな違うものを持っている。

ある作品の評判が良い方に偏るのは、それだけ優れた作品であるということかもしれない。が、それはすべてではない。

どんなに優れた作品でも観る人によっては、なんとも思わないなんてことはごく自然なことだし、それはその人の感覚が悪いわけではなく、作品とはそういうものだからなのだ。

だから、みんな(評判)が「これは本当に素晴らしいんですよ!」なんて(民放のワイドショー的に)言うと、「まさか駄作とは言わないですよね。素晴らしいと思わないあなたはちょっとおかしな人間ですよ」って言っている気がする場合があって、「なんでもかんでも同一化するんじゃない。みんな同じなわけないじゃないか!」と反論したくなる。


まあ、クチコミがこれだけ社会権を得ているのは、いかにも日本らしい現象でしょう。


■これはシナリオを書いていても同じように思っている。

シナリオに限らず創作活動全般に言えることは、つねに“実験の繰り返し”だということ。

まだ誰もやったことのない表現を模索していく、しかも自分という人間がぶれないような新しいモノを探しだしていく。

最近ようやくこのことに気がついて、どんなときでも実験、試し、可能性の扉をどんどん開く、というのを意識して書くようにしている。

しかし、そう思っていても実際に出来上がったやつを読むと、さして新しくもなく、まだまだ自分を出し切っていないなぁ、・・と感じる。

それでもとっても楽しいのだ。

もっともっと自分を出せるようになれば楽しみはもっと大きくなるだろう。

がんばろ!!



じゃんじゃん