■昨日の新日フィルとのブルックナー交響曲第1番(赤坂サントリーホール)。

指揮者と奏者のものすごい気迫からたいへん充実した演奏がうまれ、はじめっからおわりまで気持ちを完全に鷲づかみにされた。

室内楽的な透明で繊細な出だし。その直後に出現する重厚なフォルティッシモ。それだけで素晴らしい演奏が聴ける予感がした。そしてそれは当たった。

ブル1は、朝比奈隆さんの演奏で慣れ親しんだ曲だけど、小澤さんの解釈はもちろんそれとは違う(今更ながら指揮者とは、スコアから自分なりに音楽を読みとりイメージし、ゼロから創りあげるものだということを確認した)。

どのパッセージからも、ブルックナーがスコアに込めた音楽的な意味を明確に描きだす。この“音楽的な意味”は深くて、聴いている僕はいろんな感情になれた。

悲しみ、ワクワクするような楽しみ、爆発的な歓喜!寂しさ、そして、とつぜん独りぼっちになったかのような孤独・・・

ブルックナーの音楽とはこれほど多彩で素晴らしいものなんだ、とあらためて知ることができた(ブル2を聴いたときもそんなこと言ってたような・・)。

第2楽章はとてもデリケートな表現。この世ではおそらく体験できないであろうあの安らぎ感、脱力してしまうほどのうつくしさ。新日の弦が最後尾までうつくしい旋律を弾いていた。

第3楽章、トリオでの巧みな表情の変化。

そして終楽章の怒涛のクライマックス!

心から満足することができた。


そしてなによりも感じたことは。

目の前で、真っ赤な顔をして、もてる力の限りを出し尽くして音楽をつくりだしている小澤征爾の気迫。

僕は彼のこの姿をもう20年以上も見てきたけど、多少の変化はあれど精神や意気込みの衰えは感じられないのだ。

もしかしたら最近の演奏の充実度からいって、音楽に対する熱い想いや精神的気迫は増しているのかもしれないとおもった。


そのことに驚嘆した。


23年前に自分がはじめて体験した日本のクラシック音楽をぐいぐい引っぱりつづけてやまない強い小澤征爾が、いまだに同じ小澤征爾であるというこの事実が、うまくのみこめなかった。

小澤さんはなぜそんなに長期にわたってすごい指揮者でいられるのか?超人的な意思の継続。そこんとこが理解できないというか、信じられないという気持ちで演奏を聴いていた。

そして、ホンモノをうみだそうと努力をしつづける創造する人間(芸術家や小説家、俳優や歌手など)は、そういう驚くべき力を得ることができるのかもしれないとおもった。

それこそが本来の人間らしい生き方なのかもしれない。

成功するしないの差はあるしあまり関係がない、何かを本気で目指して努力をする人間は強くなる。

そうおもった。

小澤さんのコンサートは音楽的感動も大きいのだが、生き方も教わっている。

すぐさま自分のことを省みることになる。

「俺は自分で決めたことをちゃんと取り組んでいるだろうか?」と。

それと「これからもがんばろう!」という巨大なエネルギーをもらった。

最近の寝不足や多忙による疲れを感じていたが、どこかへふっとんでしまった。

帰りに小澤さんに「大きなパワーをもらいました!ありがとうございます」と言ったら、あの人懐っこい笑顔をかえしてくれた。


とむさん、今回もどうもありがとうございました!

Jinさんもお久しぶりでした^^

最近、小澤さんのコンサートには1人で行くことはなく、どんどん知り合いが増える。

こうしていろんな人が惹き付けられてくるのも小澤さんパワーなのかもしれないですね。

コンサートの後はいつものごとく行けるメンバーでルービーみーのーでした^^

やっぱこれがないとね!


じゃんじゃん