
今年の年末年始も例年どおりで、実家に行ったり親戚んちにあつまったり、と。
これには良いも良くないもあるのだけど、俺はどうもお正月ってやつはガキのころから性にあわなくてアカン^^;
ま、それはさておき。
元旦にBSで放映したベルリン・フィルのジルベスターコンサート(ベルリン時間では31日夜)はサイモン・ラトル指揮によるアメリカ音楽集。
しょっぱなのジョージ・ガーシュウィンのキューバ序曲。これがえらくよかった!!
この曲がこんなにも楽しく多彩なメロディとリズムに満ちているとは知らなかった。
ラトルの指揮もノリノリで観ていて本当に楽しい!
すっかり気に入ってしまい何度も聴いた。おかげで今でもラテンのリズムが頭んかなで鳴っている^^
(続くバーバーの『弦楽のためのアダージョ』も大変な名演だったし、ガーシュウィンの『パリのアメリカ人』もすばらしかった)
今年のスタートはまさにこの明るい曲ではじまったのだ。
■そして、ついでに言っておくと(“ついで”という軽いものではないけど)、今年の年末年始は例年とあきらかに違う意識をもっていた。
いつもは年頭だろうがなんだろうが、特別に目標を立てたり、コレといった決意をもつことのない日常となんら変わらない気持ちでしかないんだけど、時代がこうだからなのか、今までと意識を変える必要があると感じた(“感じされられた”と言ったほうが適切か)。
自分自身をこの時代に対応させていく必要がある、と。
もちろん内面の本質を変えるとかいうことではなくて、もっと幅広くいろんなものごとに接したり、いろんな人と話していったり、と、それまで無意識に行動に存在していた“壁”をとっぱらっていく。
そういう柔軟さをもっていこうとおもった。
そこから新しい角度で時代が見えてくるだろうし、違った考えがうかんでくるはずだ。
そして時代に即した考えを取得していく。そうしないと単に化石がモノを言っているようになってしまい、なんの意味もなさないのでは?という危機感。
現在はそれほど大きな時代の変革期に突入しているとおもう。
“個人”という意味は格段に重要になってくるだろうし、人や社会においてはそれまでなんとなくうまく表面的に誤魔化せたものが、通用しなくなってくるという、ね。
それはなにも現在盛んに行なわれている「企業倫理を守ろう!」みたいな口先のことではなく、もっともっと深い次元で本質が問われてきているということ。
(企業倫理に関しては「弊社はこんなことを掲げ、実践しています」程度を宣言しているだけで、従業員のなかから湧き出たものでなく、根元から染みわたっていないからさして意味がないとおもう)。
日本にはどこか本質や真意から目をそらされてしまう、そらしてしまう不思議な空気があるので、それはもうそろそろ止めないとまずい域まできている感がある。
このことはやはり個々人の生き方にまで立ち返ることになるだろう。
名刺交換してからしゃべるのでなく、まずは自分という人間ありきで話しだすことが求められてくる(名刺というのは、個人を背後に隠してしまうので“本当の話”がしづらい)。
これからは、ほんとうに、意味のうすい、表面的なことをやっている場合じゃなくなってくるんじゃないか。
今はうまく表現できないので、近くもっとわかりやすく書いてみたいと思っている。
■正月休みのわずかなフリータイムをつかって久しぶりに映画館で映画を観た。
リドリー・スコット監督『ワールト・オブ・ライズ』という中東のテロ戦線を舞台としたフィクション。
かなりな力作だ(スコット監督は巨匠にしてコンスタントに作品を世に送りつづけているエネルギッシュな監督だ)
これを観て、戦争というものが、いかに政治の手段として利用されてきているかという事実(イスラエル軍がガザ地区へ行なった空爆と同じような理由)がわかるし、世界では一体なにが起きているのか、という厳しい現実を目の前に突きつけられてきて、自らの平和ボケを自覚させられ、焦る。
フィクションといっても多少なりは興行映画として脚色されているであろうが、テロの現場とはこんなにも壮絶なのか、これほど非道なことなのか、ということが痛いくらいに伝わってくる。
レオナルド・デイカプリオはすっかりたくましい俳優になった。
自分のなかで『ブラッド・ダイヤモンド』以来彼を見る目は変わった。彼は本物の俳優になった(トム・クルーズについても『7月4日に生まれて』を観て同じような印象をもった)。
それと、今後公開される映画にも久しぶりに期待がもてる。
サム・メンデス監督で同じくディカプリオ主演の『レボリューショナリー・ロード』とマリーお勧めのキッドマン主演『オーストラリア』。
予告編を観たけどこれは期待大です!
と、今年もこんな感じの記事やアホなことを書いていきますので、よろしくお願いします^^
じゃんじゃん♪