
「自分でも気がつかない変化があったりはしないか?」
うーん、変化はその都度あるが人生が一転させられるようなビッグな変化は見当たらない。
世の中の変化や読書や友人からの影響で変わるところはあるが、モノゴトに対する考え方は基本的におなじだ。
とりあえず過去を遡っていった。
些細なことで気がついたのは、アホなところが減って、とってかわって堅実なところがふえてきたところかな^^;
昔はほんとにアホなことばっかりやっていた。
ここには書けないけど、ルービーみーのーに関しては「ほんまに同じ人間なのか?」というくらいハチャメチャなものだった(まあ、いまも片鱗はあるけど・・)。
まあ、それはさておき。
さらに、ずっとずっと遡って中学校時代になる。
この時代は特殊なものだった。
当時かよっていた中学校はかなり荒れていた。
在校中の三年間はおし黙ったまま強風がとおりすぎるのをただ耐えるしかない、といった具合。
自分でもわかっていたが、さぞや暗い表情をしていただろう。
これは俺だけではなく、グレたヤツを除いて学級全員がそうだった。
在校中、この学校は暴力沙汰で全国紙に2回ほど載ったような記憶がある。
誰しもが「いつ自分が標的になるのか・・」といった恐怖感を抱きながら学校に行かなければならなかった。
正義はまったく通用しない。無法地帯。
今でも克明に覚えているが、この中学校の卒業ほど嬉しかったことはいまだにない。
卒業式を終え校門を出るときは、まるで終身刑を免れてシャバにでた人と同じだと思った。
悲しい想いや感動などは一つもない。自由の身になれたことを喜んだだけだ。
あれほど空が高く青かったとはそれまで知らなかった・・
これではまるでベートーヴェンの歌劇『フィデリオ』のようだな^^
元気がないときは、「まあ、そういう時もあるよな」とそのまま受け入れつつも、そんな後ろ向きの自分は嫌いなので、「えーい!こんちくしょーめ!しずんでられっか!!元気だしやがれ!」とカツを入れる。
そうすると眠っていたパワーが甦ってくるものだ。
だから、いったんは底辺まで落ちることがパワーの源に繋がるものではないか、とおもう。
ダークグレーの中学時代の長いトンネルを抜けたあとの高校時代は、それまでと対照的に明るく輝かしい毎日だった。
■今週はみーのーが3回もあるという俺としてはめずらしく夜が忙しかった。
新橋でのミーノーのように、趣味と気心があう人たちと飲むのは本当に充実して楽しい(久しぶりに電車を乗りすごしてしまった^^;)。
次の日の接待は、お互いよく知った相手であったが、それでも気は抜けないので気疲れした。
(このとき相手は会社に関する愚痴を言っていたが、愚痴のレベルが違うと感じた。言っていることの内容は高度だし切実だ。もちろん酒の席なので下らない話題も出るがそれだけではない。人にもよるが問題が国レベルで逼迫している環境だと愚痴だってそれなりになるのだろうか。職場環境ってやつは人の考え方を同一化してしまう。ウチの会社のおっさんの愚痴はさして世の中と繋がっていない。大した問題でもないのに大した問題にして自分で酔う。聞いていても飽きてくるし同調できない。これも職場環境がそうさせているのか)
そんな接待の帰りは電車でルービーを飲みなおしベートーヴェンを聴く!
そうすると徐々に気持ちがリセットされてきて、ようやく自分らしく落ち着いてくる。
しかし、いろんな人と話すのはおもしろいもので、世の中の状況をいろんな角度から知ることができる。
また、相手のことを理解できると同時に自分のことも理解できる。
この国も世界の例外ではなく大不況で大変な時であるが、夜の街はまだ元気がある。
いつもはその人の多さと喧騒にうんざりするけど、今はそれが希望のように感じる(本当はそれどころじゃないのかもしれないが)。
今日は家でルービーとベートーヴェンで楽しもうっと♪♪
今週はこんな感じです!
じゃんじゃん