
■昨夜のコンサートはいろいろと考えさせられた。
まずはチャイコフスキー『悲愴』から
これはどうしても5月に聴いた小澤征爾さんと新日本フィルの名演を意識してしまう。
あのときの『悲愴』は深い感動とともに未来への希望を感じることができるという稀有な体験だった。
で、今回もっとも印象的だったのは、終楽章の最後の一音が消えてからの指揮者ミュンフンの表情(LA席だったから表情がよくみえる)。
ミュンフンは満足していない。むしろ落胆していて憔悴の色さえみえた。
はやくこの場から引き上げたいというような感じに・・・
それでも、観客への挨拶と楽団員へのねぎらいはするのだが、こんなことはそうはない。
演奏自体はまちまちだった。
ミュンフンの解釈はよくわかる。
彼特有の音楽は、ことさら意味をつよくもたせるために場面ごとにテンポをおおきく変える。
第一楽章のあのうつくしい主旋律ではたっぷりと歌ってまるでセルジウ・チェリビダッケを連想させる。
つづく嵐の場面でのダイナミックレンジの大きさなどは絶対にCDでは体験できないほどの大迫力だし、鋭利でとてもスリリングだった。
この傾向は第3楽章の行進曲の終盤や4楽章でも同様で、これがうまく“きまれば”最高の演奏になるはずだ。
ミュンフンの憔悴は、指揮者の意図と演奏結果とのあまりにも大きな違いによるのかもしれない。
解釈は小澤さんの『悲愴』とはまったく違う。
だが、どちらもたいへん優れている。
ミュンフンの悲愴はあらためて聴きなおして、どっぷりとチャイコフスキーに酔ってみたいものだ、と思った
それと前半のツィメルマンとのルトスワフスキとのピアノコンチェルト。
こっちはよかった。
この曲は作曲者がツィメルマンに捧げた曲であるからか、ツィメルマンは全責任をもって演奏に挑んでいるようなすさまじく積極的な姿勢。
オケも高い緊張感をもって好演だ。この曲のもつ意味をうきだして曲に対する僕の感心は高まった。
そしてなによりもツィメルマンの演奏がすごい。
観ていて惹きこまれずにはいられない。
たいへんなピアニストだ。
と、そういうコンサートでした。
■それと、休憩時間中に小澤さんの弟さんの幹雄さん(通称:ポンさん)をロビーで見かけたので、声をかけさせていただいたんです(最近ついてる^^)。
この日はお一人で聴きにきていたようで、しばらく音楽について立ち話をした。
近くでお話すると本当に征爾さんとそっくりで、見知らぬ僕にとってもあたたかく接してくれて嬉しかったです。
ありがとうございます!
さてさて!!!
来週の木曜はいよいよサイモン・ラトルとベルリン・フィルです!!!
もういまから興奮気味!^^;
ハイドン。マーラー、ベートーヴェンというラトルお得意のプログラム♪♪
これはどんなことになるでしょうか???
たのしみー!!!!!
って、今週はこんな感じです!