ラジオで「10月になっても油蝉の鳴き声がきこえてきました。でもその声は弱々しかったですね。」といっていた。

角田光代さんの『八日目の蝉』ならぬ『十月の蝉』ってわけだけど、この季節はずれの雄蝉の声を雌蝉がきいているとは思えない。

寝坊のためなのか、たった1人(1匹)であまりにも遅く地上に出てきたけど、仲間はすでに土にかえっている。

天敵であるカマキリは成虫になったり、危険だけが増している。

そりゃ、弱々しくもなるだろう。

こうなったら雌蝉なんか関係なく残り少ない命をパーッと楽しく生きてやるか!!まずは新橋で一杯飲むか!!なんて発想は蝉にはないだろうけど、この蝉、いったいどうなるんだろうか?

蝉にはいろんなドラマを感じる。


「蝉は何年間もずっと暗い土中にいて、たった一週間しか地上で生きられないから自由にさせておきな」とよく言われてきたけど、じつはその土なかの生活のほうが幸せなんじゃないか、と最近おもう。

地上では限られた時間で相手を見つけてアッというまに死んじゃうだけ。
“死んじゃうだけ”と簡単に言っちゃあいけないが、この一週間は「やっと自由になれた!」という気楽なものじゃなく、死に物狂いなんじゃないか。

鳥や昆虫や人の子どもといった敵がおおく、つねに死と隣あわせ、しかも子孫を残すために夜中でも寝るのを惜しんで鳴いているヤツもいる。

これは大変なんてもんじゃない。

いや、そう考えると、生と死の境界線につねにたたされて本能のままにぶきっちょに空中を飛び、限られた時のなかで結果を残さないといけないというギリギりの状態にいる蝉は、実はとんでもない自由と開放を感じているのかもしれない。

人間は勝手にいろんな想像をしているが当の蝉の心中などはわかるわけない。

本当はまったく想像もおよばない素晴らしい世界で、「また生まれかわっても蝉でいたい!」なんて思いながら木から落ちていくのかもしてない。

なーんておもいました^^


■昨日はまたしてもブルックナーの『第5』をスコアをみながら聴いた(ギュンター・ヴァント指揮ベルリン・フィル)。

眠かったから終楽章だけ聴いたんだけど、この音楽はおもしろいねー。

特殊というか愛らしいというか・・途中ものすごく繊細で幾何学的な響きがつづいてく箇所があるけど、こういうのは今まで聴いた音楽のどこも似ていない。どこにも属さない。

摩訶不思議な魅力を感じた。

今夜も『ブル5』とルービーでしょうね(またしても!)


じゃんじゃん