
そういえばこの前のアメリカを襲ったハリケーンの名前が『グスタフ』でしたね。
ついグスタフ・マーラーを連想してしまい、さぞや荒れ狂うハリケーンだったんだろうなと^^;
■さて、さまざまな分野で技術が発展して世の中が便利になればなるほど、人間が本来からもっていた優れた能力はどんどん低下していく・・ということをここでよく書く。
このことは、なにも現代に限ったことではなく、人類はその歴史において“苦”から脱するために“楽”を求め、獲得してきている(それによって医学の進歩、学識の発展などの功績を得ることになるのだ)
現代でもこの流れは変わっていない。
変わっていないどころか単に“楽”をもとめる風潮が加速してきている(昔はそれを振り返って考察しなおしたり、行き過ぎて害を及ぼすことには勇断をもってブレーキをかけていた)。
それを展開した話しで・・
この風潮がもっと押しすすむと、音楽や絵画などの芸術に対する理解能力に影響がおよぶのではないか。
モーツァルトのピアノ協奏曲23番の第2楽章を聴いて、「何にも感じなくなってしまった・・・」なんてのは、おそろしい話だ。
人間(生き物)であるがゆえの根源的ですばらしい感性や感覚がなくなっていく。
しまいには芸術そのもの自体がなくなって、機能だけが重視された無気力で無機質な世界になる・・
そんな近未来をえがいたSFは多いけど、それが実際になる可能性はあるのでは?という危機感はある。
そうはいっても、どんな物事でも多面性をもっているので必ずしも“これだけ”ではない。
世界同時株安の危機はこの先どうなるのかとても不安だ。でも、カンタンには最悪の状況にはなないはず(希望もこめて)。
■よくこういう話をすると、クラシックだけが芸術性の高い音楽で、ロックやポップスはダメなのか?と思われてしまうけど、そういうことはまったくあり得ない。
そんな馬鹿げた話はない。
モーツァルトが生きた時代にもものすごい数の作曲家がいて、街では多様な音楽で溢れていたであろう。
そんななかで力のある作品として現代まで残ったのが“モーツァルト”だということだ。
確率の問題ではないけど、数限りない作品群のなかでキラ星のごとく後世まで生きながらえてこられるのはごくごく少数。
それを現代に置き換えて考えると、残る音楽と消えていく音楽がある。
結果は百年後の世界を見ないと分からないけど、「これは後世まで残る力をもっていそうだなー」、ってのはいくつかある。
しかし、ほとんどの音楽は残れない、消えてしまう。
ということであって、なにもクラシック音楽が優れているのではない。
モーツァルトが優れているということ。
要は、それが力をもった作品かどうか?という事と、後世人の理解度と判断の問題である。
■話しはガラッと変わるけど(笑)、友人は「○○○○(ボブ)は、人のことを考えすぎだから」と言っていた。
「そういえばそうかもしれないな」(人から指摘されてはじめて“自分”に気がつくことって多い)。
日常接する人のことを心配したり、自分について“いったいオレはどんな人間なんだ?”とか、世界で起きる事件をリアルに伝えている記事に我が事のように胸を痛めたり・・眠るまでいろんな人のことを考えている。
出来事のとらえかって人それぞれによって異なるもの。
オレの場合はこれ。こういう性分。
たぶんオレはこの辺のとらえ方がそのまま等身大にとりこんでしまう傾向が強いんだと思う。
で、そのことを頭の片隅でずっと考えてしまう。
音楽や映画に対しても同じ傾向だから、うける影響がでかいのかな。
という、自己分析でした^^;
■“ウィーン・フィル”以来、ブルックナーばっかり聴いている。
交響曲4番の第2楽章、コレはたまらんですね~!
あの、つぶやくような弦(て・ててて・て・て・・)からはじまりチェロの悲しみと深みに満ちたメロディー・・、そこから展開するさまざまなドラマ・・
こりゃ今日も聴くだろうね^^
■明日から『アキレスと亀』(監督北野武)の公開です!
はよ観たい!!
ちゃんちゃん♪