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■いままでブルックナーの音楽というものを無機質であまり感情のない音楽であるかのようにとらえていた部分があった(もちろん彼の音楽は好んで聴いているのだけど)。

それは同じく巨大な交響曲を書いたグスタフ・マーラーと対比をしてしまい、感情むき出しのマーラーの対極と位置づけてしまったからかもしれない。

しかし、昨日のリッカルド・ムーティ指揮ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団による充実したブルックナーを聴くとそれがとんでもない間違いだったことを知らされた。

今から約130年前、この交響曲第2番を初演したオーケストラはウィーン・フィルだ(指揮は作曲家自身)。

第1楽章の序奏から彼等は全力でとばす(もちろんすべて全力なのだろうけど)。

最初のトゥッティから「コレはとんでもないことになる!」と直感したと同時にチキン(鳥肌が立つ、という意味で決して弱腰ということではないッス^^;)になった。

ウィーン・フィルの本気で全力の姿勢がビシビシ伝わって身を乗りださずにはいられない。

総じてゆっくりめのテンポで一音一音着実に弾いていく。

重厚でふくよかな弦と壮大で壮絶な金管の響きがなんとも心地いい。

心地いいなんて悠長なことを思っている一方で、「これがブルックナーか・・・」と感嘆していた。

とにかく巨大な音楽だ。いや、巨大であるが繊細、かな。

ときたま現われる全休符。会場がシーン・・と物音ひとつしない静寂。

その後は、それまでと違ったフレーズに変わる(調も変わるのかな)

とにかく景色がガラッと変わる。

曲全体を通していろんな美しい風景を見せられているようだった。

悲痛な弦のすすり泣きが聴こえたかと思うと、ブルックナー特有の低弦の歩み、「また歩きだそう」みたいな。

ブルックナーは大ぶりな人物だったのだろうか。彼がリンツの古い街並みをゆっくり歩いているようなイメージがわく。

ほんとに感情豊かな音楽。

無表情なんてとんでもない、じつに人間くさい音楽だった。オレはいままでなにを聴いていたんだろうか。


終楽章の冒頭。

“音楽”という従来自分がもっていた“枠”を超えたとんでもない表情。

「これは音楽ではない」と思ったし、その意味は、音楽というのはどこまで広大なものなんだろうか、ということ。


ハイドンもとてもすばらしく、しっとりとリリックな演奏で、ため息がでた(カンタンですんまへん)。

アンコールははじめて知る作曲家の『夜想曲』。

まあ、こうした音楽のあとにアンコールはなくてもいいのだが。


ムーティは今年67歳。

あの威厳たっぷりの颯爽とした指揮ぶりはカッコいい。

彼は機動性に優れており音楽に生命をふきこみつづける。


改めて思ったがウィーン・フィルってじつに反応がいいオーケストラだ。

これは彼等がウィーンで“ぶっつけ本番”みたいに毎日オペラに取り組んでいるかもしれない。

ムーティのちょっとした動作に機敏に反応する。

激しい指揮には渾身の力をこめる。すごい弓の動かし方だ。

第二楽章のカンタービレのうつくしさも特筆もの。

目をつむって聴くと、まさに天国にいるかのような音楽だった。

見ているだけで、ウィーン・フィルはたのしい。


変な話し、オレってあまりにすごい演奏だとついニヤケてしまうことがある。

昨日はけっこうニヤケてましたね~^^

前回のアーノンクールといい、最近のウィーン・フィルはとてもいい。

来年のズビン・メータもブルックナーかマーラーを取り上げてほしいものだ。


■ウィーン・フィルのコンサートはいつも会場が華やいでいる。

昨夜もロビーにはソニーの出井さんや大賀さんの常連さんの姿があった。

僕は相変わらずRDの貧乏席。始まる前になにやら厳重な警備体制があって「スポンサーさんへの挨拶待ちかな?」と思って、「誰がくるんですか?」って訊いたら「皇太子さまです」だって。
「あ、なるほどね」この日はお1人できてました。

皇太子さんは一体どんな感想をもったのだろう?と気になる。


■その後は、メンバー5人で新橋のいつもの飲み屋へ^^

ルービーがめちゃくちゃ美味かったなぁ。

コンサートの後だけあってみんなテンションが高くアッという間に終電の時間(それにみんな酒好きだった^^;)。

その終電にギリギリ乗って、家に着いたのが深夜1時すぎ・・ぎゃぼ。


ウィーン・フィルのときはこのパターンになりそうだな。


クマさん、タローさん、どうもありがとうございました^^


二日酔いのため文章もテキトーですんません!


じゃんじゃん♪