■このごろは漫画の売り上げも落ちてきて休刊する雑誌がでてきた(以前は少年サンデーやヤングサンデーを愛読していたものだ^^)。

本も漫画も読まないのでは、人々はいったい何に流れているのか。
(もとから本を読む人と読まない人って決まっているような気がする。山田洋二監督は“寅さん”の興行収入はだいたい11~13億円だったけど、毎回同じ観客が観にきているだけじゃないのか?と言っていた)

ケータイによる読書という手法が世の中にでてきた。

またしてもケータイだ。

うーん、またなんか妙なことになってきたもんだぞ。

ケータイへの集約化ということでは経済の勝敗の問題であってさほど大きなことではないが。

いちばん気になったのは、そういう読み方では作品の真意を伝えないのでは?と感じたことだ。

そもそも作家は“本”という形を想定してモノを書いている。

このことはすごく大事なことのような気がする。

“気がする”というのはまだ感覚的にそう思っているのであって、自分の中で確信に至っていないからだ。

音楽だってコンサートホールで聴くのがいちばん良い。

モーツァルトは『レクイエム』をCDで聴かれようなどとは思ってもいない。

街の教会や小さな劇場で演奏されるのをイメージしながら音符を書いているはず、これは大切なことに思えてならない。

だから音楽はできるだけコンサートホールに出かけていって生演奏を聴く。

映画も映画館で観る(最近の映画はDVDで販売されるのを分かっているから製作者の意識のなかには小さい画面も意識しているかもしれない)。

こういうことは本にもいえる。

なんでもコンパクト化、便利化することは良くない。

歪曲して伝わることになるし、ほんとうのおもしろさがわからないことになる。


■企業は人々の流れを追っかける。

大衆の動きに敏感になっていないと業績が上がらないシステムになっていると思いこんでいる。

また一方で、じょうずに人々を先導し取り込んで効率よく業績を上げる企業もいる。

そのどちらも似たようなもので、本当に“人間のこと”を考えているわけではないのでは。

つぶれなければいい。儲かればいい。


開発する人に「ほんとうにそれでいいのか?」と訊いてみたい。

お金や企業間競争はなしにして、それが人にとって、世の中にとってどんな影響を与えるのか?総合的にみて良いことなのか?と。

それが市場主義経済の正体だと言われれば、この社会システムは間違っている。


■来年のサイトウ・キネン・フェスティバルの概要が発表された。

オペラのほうはオペラでなく、ベンジャミン・ブリテンの『戦争レクイエム』。

小澤さんはこの曲をウィーン・フィルで振ったりしている。

僕はこの曲の存在を知っているけど聴いたことがない。

しかし、このタイミングで『戦争レクイエム』か・・・思った。

世界の不安な現状をみての選曲だろうか。

こりゃ来年も松本に行くことになりそうだわ^^


じゃんじゃん!!