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■本屋をぶらつくと、ジャケットとタイトルにふと目がいって、予想だにしない本に興味がいくもので、それをパラパラと見ると意外とよかったりする。

いや、かなりいい本だったりする。

そのときの自分に必要な知識や知恵・見解がポンッと目の前にあらわれる。

まるでその本がオレがそこにいくのを待っていたかのような偶然的・運命的な出会いのようだ。

本屋さんをうろつくのはこういうことがあるので、何か迷っているときにはオススメ(まあ、だいたい何かに迷って考え事してるんだけど^^;)。


・・・というようなことをよく書くが、先日もそんな体験があった。


なんとなく気になった朱色の本を手にとって冒頭を読んでみると、「ついにコレに行きあたったか・・」と思わされる本だった。

ネットじゃおそらくこの本には到達できない。本屋さんでのぶらつきがそうさせた。

小田実さんの「生きる術としての哲学~小田実最後の講義」(岩波書店)。

この本はすごい。

こんなに鋭く広い目線をもった人はいないんじゃないか。

とてもおもしろく、そして勉強になる。

題名だけみると硬い感じがするが、大学生に向けた講義をまとめたもので誰にでも分かりやすい文章になっている。

今日8月15日は終戦記念日。

その前日の1945年8月14日の大阪での大規模な空爆を“される側”として体験した“地獄”が実体験となっている。

原爆のマンハッタン計画のくだりや、近代科学技術への警告などは必読といってもいい。

「なぜアメリカは原爆を使ったのか?」や、日本での原子力の平和利用に対して、「いったん走りだした橇(そり)を止めることはできない」という真意。

この言葉はじつにおそろしいが、そのとおりだと思った・・・

“悪”の変化もそうだ。

「絶対悪」だったものが、時代とともに「相対悪」、「必要悪」へと変貌することの危うさ。

原爆の使用に関して、現在は「絶対に使ってはならない!」という壁を乗り越えてしまっていないか?と。

その他、もろもろ・・・



■さて、ターゲー暮らしは、いろいろなことを気付かせてくれるヒントとなった。

現実的に視線はだいぶ高くなっておもしろいというのはあるが、視点という意味でも普段とは違ってくるものだ。

ターゲーで歩いているときは、世間一般と一線を画した存在のみたいな気持ちなれる。

はじめて1人でベルリンの街を歩いていたときのような、良い意味での緊張感・気持ちの引き締め・体験したことのない開放感、そして濃厚で充実した時間が感じられる。

そして、気がついたことの1つに「なによりもまずは自分」だと思った。

これはいつも思うことの再認識かもしれないが、確信をもって認識できたということで今までと違う。

まずは、自分の存在ありき、なにごとも自分の考えありきで動くことがなによりも大切。

(それとともに相手の立場にたって物事を考えるということが出来ていないことにも気がついた)


1つの例として・・

スーツを着て会社の人間としてお客さんとしゃべると、どうしても「非があったらいけない」みたいな弱い接し方をしてしまう。会社という看板を過剰に意識するためだろう。

お客の方でもそれを知っていて、悪いヤツなんかそこにつけ込んでくる。

でも、そもそも会社の人間である前に、○○さんという“人間”という存在が先頭にくるのが自然だと思う。

ここは、企業に勤める人がおこなうお客サービスという観点と、個人の主観というかアイデンティティというか、根幹というか、そういったものの交差、バランスの問題がある。

それら全体をふまえたうえでも、やはり“その人間”が前面にくるべきだと思う。

わかりづらい言いまわしだと思うけど、どんな状況においても遠慮してしゃべることはない。

どんな人とでも、堂々と自分が思ったことを自信をもって話せばいいだけだ。

ただそれだけでしかない。


変な意識が日本人のなかには植え付けられてしまっている。

コンビニやスーパーのレジの人たちの可愛そうなくらいの切羽詰った対応はどんどん加速してきている。

なにもそんなに急がなくてもいいのだが、彼等は“世の中”に急がされている。

これも“橇に乗らされている”からなのだろうか。


今日もターゲーで会社に来ているが、街はお盆ですいているので良い感じだ^^

帰りはまたどっか寄り道しようっと♪


■それと最近聴いた音楽から

・マーラー交響曲第5番ブーレーズ指揮ウィーン・フィル
マーラーはやっぱり第5がいい(9番も)。ブーレーズの目はここでも冷静でコントロールが効いている。いい演奏だ。

・バッハ ミサ曲(ロ短調)カルロ・マリア・ジュリーニ指揮バイエルン放送響
家にあったがほとんど聴いたことのない曲。でもこれで関心をもったのでこれから聴くことになるでしょう。

・モーツァルト レクイエム(ニ短調)ニコラウス・アーノンクール指揮ウィーン・コンチェント・ムジクス
 音楽がまるで透けて見えるかのような響き。独特のアクセントが新しい側面を見せてくれる。

・プロコフィエフ交響曲第7番 予習の意味もふくめてワレリー・ゲルギエフ指揮ロンドン響
 変幻自在の表現がゲルギエフらしい。

・ベートーヴェン交響曲第9番 ヘルベルト・フォン・カラヤン指揮ベルリン・フィル
 スケルツォをカラヤンBPOのコンビで久しぶりに聴いた。やはり尖がった印象がある。