チョーザックリ書きました!


■昨日は1日車で挨拶まわり。

幕張、横浜、新宿、市川、と高速での移動

渋滞のイメージがつよい首都高は原油高の影響からか、かなり空いていた。

モーツァルトのピアノ協奏曲23番(MD)などを聴きながらの運転(自分がドライバーなので好きな音楽をかけていた^^)。

最近は全席シートベルト着用が義務付けられたせいもあって、料金所ではおまわりさんの姿が目立つ。

後部座席シートベルト義務化は、交通事故による死亡件数を減らすための法令。

効果はあがっているのだろうけど、そこまで法でしばるのはどうなんだ?と思っている。

「死亡事故の恐れがあるので、できれば後部座席の方のシートベルト着用もお勧めしています」でいいんじゃないか。

これは個人の問題と、警察の仕事の問題がからんでいる。

加害者でもないのに、個人を法でしばるというのはどうしてもしっくりこない。

ヘビースモーカーが自分の健康被害を、煙草会社を相手どって訴訟を起こすのと似ている。

あれは「そりゃ、吸いすぎたオマエが悪いんだよ・・」ってことであって、まずはそれありきじゃないかと思う。

事故をおこして、後部座席の人が重大な怪我をしても「国がシートベルトの義務化をしないから悪い。国を訴えてやる。」なんていう理屈はおかしいと思うし、そんなことを言うヤツは稀だろう。

そもそもそこまで国に管理されていたいのか?

そのときだけ国を信頼しているフリをしていないか?



最近のニュースで報じられる恐ろしい犯罪の拡大は、何か今までと違う不気味さを感じている。

そのうち「外を出歩くときには鎧を着用してください。でないと罰せられます」なんていう世の中が来るかもしれない。

鎧なんか重いし夏なんか暑くてたまんない。だから袖のない“クールビズ鎧”とかでたりして。それか、クーラー機能がついた“ヒンヤリ鎧”とか。

まあ、それは冗談だけど・・・


昨今の犯罪は、単なる模倣が多い。

あの事件の真似をすりゃいい、なんて思っている。

そのことが簡単に犯罪を起きてしまう要因にもなっていると思う。

大きな事件があると必ず真似をするヤツがいる(日本人は特に真似をしやすい民族)。

やりきれない悲劇がやすやすと起こってしまう連鎖・・被害者とその周囲の人たちの生涯消えない深い悲しみと深刻な精神的ダメージのことなんかまるで考えない身勝手さ・・・想像力のなさ。

例えば、実際に「もうどうでもいい!」とやけくそになってナイフをもって外にでたとする。
たまたまそこに人がいて、その人を刺してしまおうと思って近づく。
刺そうとした瞬間、その人の話す声が聞こえたり、体温を感じたり、香水のかおりがしてくるかもしれない。
このとき、その人には自分は知らない大切な生活があって、いつも想ってくれる両親や親しい友人がいる。または悩みがあってもがんばって立ち向かっている人かもしれない・・という“人間を想う”という想像。

こういうことをイメージできる人は、そこで立ち止まるんじゃないか。



犯罪にオリジナルを持て!とは決して言わない。
(そもそも、自分勝手な理由で人に危害をくわえるな!!だ)

真似をするというのは、そいつはどっかであまい気持ちをもっているのだ。

「あいつもやったから、俺も・・」というように、事の本質を他人や世間のせいにするあまえ。

どんなことでも周囲を見て自分のポジションを決めるという自立心のなさからくる。

これはなにも犯罪者の限った話だけじゃない。

よく同僚の男と話していてもそれを感じるときがあって、「コイツはこんなんで満足なのかな?」と思う。

まあ、きっとそれはそれで満足なのだろう。

・・・・

それにしても、この国は大きな曲がり角にきてやしないか?

原油高や海外金融問題からくる経済の不安定は、“いまの時代”のもろさを感じさせるが、当の人間そのものはどうなんだろう。

人間は時代とともに一歩一歩着実に成長してきていて、現在かかえている幾多の困難も解決できる力をもっているのか?

“本当の大人”が少ない日本に復活の可能性はあるのか?

・・・・

・・・なんて、いつになく深刻に感じてしまった。


読んでいただいたのに、後味が悪くてすんません。