■きのう、近所のスーパーに行ったときのこと。

若い親が小さい子どもを叱っている場面にでくわした。

子どもを叱るなんてのは当たりまえで、間違ったことをしているなら叱らないといけない。

叱っている場面はよく目にするし、オレだってする。

でも、そういうのとは違う印象をうけた。

問答無用の愛情もなんも感じられない、叱り方・・叱るというか、たんに激しい怒りをぶつけているといった方がいい。

他人の子どもながら、かわいそうとしか思えなかった。

なんとなくその状況から親はなにやら急いでいるらしく、「そんなのいいから、来い!」という感じ。

完璧な人間なんているわけがなく、急いでいてイライラしているときはオレも自分本位に急かしちゃうけど、その度が違う。

まだヨチヨチ歩きの子どもにそんなことを言ってもわかるわけない。

自分の勝手な収まりのつかない感情を、たんにぶつけているだけ。


幼い子どもというのは、自然そのものなので、効率的に行動することなんてわからない。

今は何でも効率よく便利なのが当たりまえの世の中。

でも、そうでない自然の子どもと接するときに、“効率”を持ちだすのは話が違う。

待てない大人たちに育てられた子どもは、そうそうに“自然”から離れることを求められる。

もっと自然のままでいたいだろうに、それが許されない子どもたちがいる。

効率よく便利、というのはそれほどいいもんじゃない、オレはと思うんだけどね。


■この日は、ラタトゥイユの食材を買いに行ったんです。

でも、ズッキーニがどこにも売っていなかった。

キュウリで代用しても仕方ないので、パプリカとナスを多めにしてつくってみた。

思いのほか美味くできたんだけど、それしか考えてなくて、あとはいつものようにご飯を炊いて、あさりの味噌汁をつくっていた。

ラタトゥイユをご飯にかけて食っても、なんだかなぁ~・・なので、あわててパスタを茹でた(笑)

パスタと絡めて食ったら、これはおいしかった。

でも、へんな献立だよな・・