■「髪の毛を真っ赤に染めないかぎりは自分の存在を維持できなかった。」
これは新聞で読んだのかなぁ、ある若い人のこの言葉をなんとなく覚えていた。
こうでもしなければ、この硬っくるしい社会(または生活や人間関係)におし潰されてしまう。
彼の唯一の逃げ道が“髪の毛を真っ赤に染めること”だった。
そうなのか、とおもった。
そうでもしなきゃ耐えられない、正気じゃいられない、自分がどっかに流されていってしまう、という危機を感じることってあるね。
この言葉の意味、このときよりよくわかる。
(髪の毛を赤に染めようというのではないですよ(^^;やったらおもしろそうだけど(笑)
もともとその人のもっている生き方やスタイルというものは変えるものではない、とあらためて思う。
先月からやっている私服通勤は近頃どんどんラフ度が増してきた。
それに比例して気持ちが自由に軽くなってきた^^
本来の自分にもどって歩いている感じ(反対にスーツを着ている人とは距離ができたような感じもある)
どっかスレたような、エネルギーにあふれた自分に。
これが落ち着ける格好だとしたら、やっぱりオレってちゃんとした人間じゃないんだな、ということに気づいた。
■飲み会にしても接待以外の気がすすまない会社系の飲み会には出ないでいた。
もともとは時間的制約から出られなかったんだけど、そのうちほとんどの会社系の飲み会(部署の歓送迎会すら)を断るようになった。
もっとも、会社の人でも行きたい人とは率先して飲みにいってんだけど、半分業務チックというか、定期的・公的な飲みはあんまり意味がないばかりか、貴重なアフター5を奪われてしまうので、そんなことに時間とお金はかけられない。
歓送迎会だったら、欧州のようにランチタイムでやるんだったらわかる。
ここ10年くらいの飲み会は、優先順位をつけてその高い順に行っている。
だから、必然的に会社系には行かなくなった、ということだろう。
それだけ飲みに行きたいと思える相手がいるということは、幸せなことなんだけどね。
でも、断りつづけるのは当然心苦しい心境もある。
誘ってくれる相手に悪いと思うし、社会人としてどうなんだろう?とか思ったけど、そうすること以外に道はなかった。
そのうち断るのが当たり前だと思われてラクになったけど、それならそれで、寂しい気持ちもいくらかあった。
勝手なものだね。
出身校別のOB会という飲み会もあるが、これもなんだかせせこましく思えてしまった。
出身学校が同じだからってわざわざ集まって飲んで騒いで結束を固めて、それが一体なんなんだろう?って。
“会”よりも“人”じゃないのか。
「コイツと飲んで話したい」と思う人がいるから、飲み会があると思うのだけど、なんだか、“会”が優先して「1年に2回はこの飲み会をやろう」とか「あの人と飲みたいからかこつけて○○会を開催しよう」とか。
飲みたいのだったら、直接相手にそう言えばいいのに、名目をつけてまわりくどく誘うのは、まどろっこしくてどうもいけない。
子どもの頃から、人間は人間であって、上も下も男も女も無いと思っていたから、ある枠にくくることに抵抗があった。
それがいまでも根底に流れているから、こういうふうに考えるんだろうね。
■しかし、最近はこのスタイルを貫けなくなった。
柄にもなく自分の立場というのを意識しているから、たまに会社系の飲みにも出る。
(それでも最低限の参加をする余裕しかないので、2~3時間で追い出されるお店を選んでいる^^;)
このことが自分にとって“無理をしている”のかもしれないと思った。
最近、なんだか疲れを感じていて、ふと「これって自分のスタイルと違ってやしないか?」と、ラフな格好をして爽快を感じているときに、そう思った。
もし、それが今の不調の原因ならちょっと考えなきゃいかんわな。
その、反対の気持ちとして・・
実際、こういう姿勢でいることっていろいろと疲れるものだ。
そこまで自分のスタンスを押し通すのはどうなのかな・・と。
オレって変に意固地というか頑ななところがある、そんなに肩肘張らないでいいのに・・・って思ったりする。
でも、こういう要素もオレを構成している一部分なはずだからそれほど否定はしないけどね。
こんなんだから、この頑なさが原因でたまに損をする。
目に見えるようにはっきりと損しているのがわかる。
その場合でも、良いのか悪いのかわからないけど、「まあ、このままでいいかな」と適当にしている。
明日は、久しぶりに学生時代の友人と飲む(4年ぶりかなぁ)。
この友人とは大学の頃から「世の中ってなんなんだ??」みたいな会話を100%出しあって語りあえる稀な関係だ。
再開発がおこなわれる前の北千住のキッタナイ居酒屋で飲んで話して、そのままウチに泊まったりしていた。
いつも朝か深夜まで話がつきないのだけど、明日は木曜だしね、オールはないと思うのだが^^;
じゃんじゃん♪
これは新聞で読んだのかなぁ、ある若い人のこの言葉をなんとなく覚えていた。
こうでもしなければ、この硬っくるしい社会(または生活や人間関係)におし潰されてしまう。
彼の唯一の逃げ道が“髪の毛を真っ赤に染めること”だった。
そうなのか、とおもった。
そうでもしなきゃ耐えられない、正気じゃいられない、自分がどっかに流されていってしまう、という危機を感じることってあるね。
この言葉の意味、このときよりよくわかる。
(髪の毛を赤に染めようというのではないですよ(^^;やったらおもしろそうだけど(笑)
もともとその人のもっている生き方やスタイルというものは変えるものではない、とあらためて思う。
先月からやっている私服通勤は近頃どんどんラフ度が増してきた。
それに比例して気持ちが自由に軽くなってきた^^
本来の自分にもどって歩いている感じ(反対にスーツを着ている人とは距離ができたような感じもある)
どっかスレたような、エネルギーにあふれた自分に。
これが落ち着ける格好だとしたら、やっぱりオレってちゃんとした人間じゃないんだな、ということに気づいた。
■飲み会にしても接待以外の気がすすまない会社系の飲み会には出ないでいた。
もともとは時間的制約から出られなかったんだけど、そのうちほとんどの会社系の飲み会(部署の歓送迎会すら)を断るようになった。
もっとも、会社の人でも行きたい人とは率先して飲みにいってんだけど、半分業務チックというか、定期的・公的な飲みはあんまり意味がないばかりか、貴重なアフター5を奪われてしまうので、そんなことに時間とお金はかけられない。
歓送迎会だったら、欧州のようにランチタイムでやるんだったらわかる。
ここ10年くらいの飲み会は、優先順位をつけてその高い順に行っている。
だから、必然的に会社系には行かなくなった、ということだろう。
それだけ飲みに行きたいと思える相手がいるということは、幸せなことなんだけどね。
でも、断りつづけるのは当然心苦しい心境もある。
誘ってくれる相手に悪いと思うし、社会人としてどうなんだろう?とか思ったけど、そうすること以外に道はなかった。
そのうち断るのが当たり前だと思われてラクになったけど、それならそれで、寂しい気持ちもいくらかあった。
勝手なものだね。
出身校別のOB会という飲み会もあるが、これもなんだかせせこましく思えてしまった。
出身学校が同じだからってわざわざ集まって飲んで騒いで結束を固めて、それが一体なんなんだろう?って。
“会”よりも“人”じゃないのか。
「コイツと飲んで話したい」と思う人がいるから、飲み会があると思うのだけど、なんだか、“会”が優先して「1年に2回はこの飲み会をやろう」とか「あの人と飲みたいからかこつけて○○会を開催しよう」とか。
飲みたいのだったら、直接相手にそう言えばいいのに、名目をつけてまわりくどく誘うのは、まどろっこしくてどうもいけない。
子どもの頃から、人間は人間であって、上も下も男も女も無いと思っていたから、ある枠にくくることに抵抗があった。
それがいまでも根底に流れているから、こういうふうに考えるんだろうね。
■しかし、最近はこのスタイルを貫けなくなった。
柄にもなく自分の立場というのを意識しているから、たまに会社系の飲みにも出る。
(それでも最低限の参加をする余裕しかないので、2~3時間で追い出されるお店を選んでいる^^;)
このことが自分にとって“無理をしている”のかもしれないと思った。
最近、なんだか疲れを感じていて、ふと「これって自分のスタイルと違ってやしないか?」と、ラフな格好をして爽快を感じているときに、そう思った。
もし、それが今の不調の原因ならちょっと考えなきゃいかんわな。
その、反対の気持ちとして・・
実際、こういう姿勢でいることっていろいろと疲れるものだ。
そこまで自分のスタンスを押し通すのはどうなのかな・・と。
オレって変に意固地というか頑ななところがある、そんなに肩肘張らないでいいのに・・・って思ったりする。
でも、こういう要素もオレを構成している一部分なはずだからそれほど否定はしないけどね。
こんなんだから、この頑なさが原因でたまに損をする。
目に見えるようにはっきりと損しているのがわかる。
その場合でも、良いのか悪いのかわからないけど、「まあ、このままでいいかな」と適当にしている。
明日は、久しぶりに学生時代の友人と飲む(4年ぶりかなぁ)。
この友人とは大学の頃から「世の中ってなんなんだ??」みたいな会話を100%出しあって語りあえる稀な関係だ。
再開発がおこなわれる前の北千住のキッタナイ居酒屋で飲んで話して、そのままウチに泊まったりしていた。
いつも朝か深夜まで話がつきないのだけど、明日は木曜だしね、オールはないと思うのだが^^;
じゃんじゃん♪