サバティカル宣言したばかりだけど、ちょっと書きたいことが^^;


■曽野綾子さん(作家・エッセイスト)の本が家にあった。

かみさんが図書館から借りてきたもので、『善人はまわりの人を不幸にする』とかいう題名の本。

「おもろい本借りてきたね。ちょっと読ませて!」と、さっそくページを開いてみると、どんどん読んでしまって止まらない。

とともに「これは、身につまされることだな・・」と思うようになっていった。


オレは自身のことを“善人”とは思っていないし、“善人”というのはどこかうさんくさいヤツだと思ってるくらいだ。

善人ってのは、まわりの連中から「あいつは善人だから・・」と認められるようなことで(まあフツウはそんなふうに言われないだろうが)、己の指標とは違う。
いや、自分でも「オレは善人だから」という意識をもっている(もたされている)人はいるかもしれないな(これはこれで大変だろうが・・)。


さて、

過ぎる親切や気配りは、されるほうは苦しい思いをすることがある。

過保護は子どもの成長機会を奪ってしまってダメにしてしまう。

過親切(?)も相手を結果的にダメにしてしまうおそれがあるし、関係だってギクシャクしてしまう。

自分自身は、良かれとおもって親切や気配りをしているのだから気持ちいいかもしれないが、相手にしてみれば、そこまでされてもなぁ~・・と困ってしまう。

さらに当人は悪気がなく善意からそうしてくるので、断るにも断りづらい(ここがタチの悪いところでもある^^;)

なので、相手のことを考えない親切は、すればするほどよけいに相手が苦しくなる。

“善人は他人を不幸にする”とはそのものズバリで厳しい言葉でもあるが、ここにはそういうことが書かれている。


あるね。世間にはこういうことが。そこらじゅうにある。

オレ自身のことをいえば、ここはそうならないように意識しているつもり。

家族・友人・知人に対して、どんな接し方がその人にとって本当の意味でいいことなのか?を気持ちのどこかに持ちながら接している。

でも、ふと気がつくとその意識が薄れてしまって、自分の(一方的な)善意だけを押しつけてしまうことがあった(相手の心の訴えを汲みとれないというか・・)

それが、ほんとに大切な人にかぎってそうなってしまうことがあって、そのことに気づいて思わず冷や汗が・・・

相手は重かったかもしれないだろうなぁ、って。

大切な人だからこそなおさらしっかりしないといけない。

そこは盲目になってはならないのだ。

「どんなことが相手の人生にとって最良のことなのか?」をあらためてちゃんと意識していかねば!と思った次第です。

この本、ちょっと目が覚めさせられた^^;



■日曜日発売のロンドン交響楽団(ゲルギエフ指揮)東京公演チケットはラクラクとれました(12月3日で交響曲2&7番と協奏交響曲)^^

日本ではあまりメジャーではないプロコフィエフだからかもしれない。

まだまだ売れ残っているみたいですよ。


あとベルリン・フィルだよな~。

どうしようっかなぁ???

ひさしぶりのサイモン・ラトルだし・・ハイドンとベートーヴェンだし・・・

しかし、マニーがぁ!!



じゃんじゃん♪