■ここんとこプロコフィエフやモーツァルト、マーラー、ショパンはよく聴いていていたけど、ベートーヴェンはなぜか聴いていなかった。

昨日そう思っていたら急にベートーヴェンが聴きたくなって、そこからじゃんじゃん聴いた。
聴いたというか全身で吸収するような感じで、“ベートーヴェンを体験した”といった方が言葉としてはあう。

『エグモント序曲』(ジョージ・セル指揮ウィーン・フィル)の全編闘志あふれる音楽の精神はそのまま僕にスライドされた。
随所にあらわれる強烈なフォルティシッモは鈍った気持ちに楔(くさび)を打ち付けなおしてくれるようだ。

迷ったらベートーヴェン。
モヤモヤしたらベートーヴェン。

日常に埋没し迷走していた自分を律してくれる。

このほか、交響曲第7番(アバド指揮ウィーン・フィル)と4番(クライバーでしょう!)、5番(同じくセル)などを体験した。
なんだかひさしぶりに自分の定位置に戻ってきたみたいで、こういうのは気持ちがいいものだ。


■さて、いつもの話題^^;

いつも、歩きながら思いついたことをケイタイの“メモ”にキーワードを打っている。
ちょっとしたことでも忘れないように。

昨日のメモは“ツバメの捕獲姿をみて思う。機械が便利なことを肩代わりしていて人間なんて空っぽな生き物にならないか?”とあった。

これは、昨日の帰り道に近所の小さい河で、たくさんのツバメたちが昆虫を捕まえているところを見て書いたメモ。

夕闇のけっして明るくない空中を猛スピードで飛行して、次から次へと昆虫を捕まえるツバメ達の姿には、無駄がなく、人間などにはとても及びもつかない高度な能力を感じた。

おそらくこの時間がもっとも餌である昆虫の動きが活発になって捕獲には最適なのだろう。
これより遅い時間になるとコウモリたちの時間になる。

その限られた時間内で効率的に生きるために活動しているツバメ。

彼らの目的は明確だ。

生きるために生きている。
生きのびるために餌を捕まえる。

明確だ。

この明確さがうらやましく思う。


■さて、われわれ人間は、と考える。
少し前にも書いた“待てない大人・・”にも関連するが、

“便利”はやっぱりうのみにしてはいけない、と思った。

Suicaの普及やコンビニ・ファストフード店などの影響で待たないことが当たり前になってきている。

それをなんの躊躇い(ためらい)もなく自分の基準にしてしまうと、待つことが特別な事としてとらえるようになってくる。

世の中はずっと前から“便利で楽(ラク)”な方向にすすもうと努力している。

そのことが正しいことであるとまったく疑っていないかのように、ひたすら躊躇せずにすすむ・・・


さらに違う面から考えると、行列とかで、自分のところだけが待たされていることに耐えられないという面もある。

まわりの列はサーっと進んでいるのに、自分だけが待たされていることが嫌だと・・

さらに違う例えでいうと、現代人の平均寿命が50歳だとしたら自分が51歳で死をむかえようとしてもさほど未練はないと思う。

平均よりも早く死んでしまうから、あの人はわかいそうだと・・

その当人も死の間際までそう思ってしまう。

社会に生きている人間って、自分がみんなよりも劣っているという環境が嫌なのだろう。

「みんなと一緒は嫌だ」とかなんだかんだ言っている僕もこの呪縛からは逃れられていない。
気にしたくなくとも、やっぱり周囲は気になるものだ。
周囲を気にしながら自分のスタンスを見つけていくということの繰り返しなのだろう。


で、“便利”というのはそれだけ機械が人の肩代わりをしているということでもある。

すべてではないが、「それまで機械にまかせてどうすんだ?」ということまで機械にやってもらっているのが現在の状況(これはたぶん昔からそうなんだろうね)

最終的には人間なんて自分の能力ではなにもできなくなっちゃって、すべて機械がやってくれるという、チャップリンの『モダンタイムス』みたいな社会になっちゃうんじゃないか?

・・と、ツバメたちの俊敏な飛行を見ていてそう思った。

それに、やっぱり生きものとしてちゃんと備わっている能力を最大限つかって、なにかをやるほうが楽しいんじゃないか。

同じようなことを機械がやってくれたとしても心の底での満足感がまるで違うというか・・

そんなふうに思う。


■クラシック音楽のコンサートというには基本的に200年まえと現在とではほとんど変化していない。

照明がローソクから電気に変わったくらい。

アンプを通さない生の音をホールの壁にぶつけて響かせる。

楽譜だって現代だったら電子化させてめくる手間をなくせることだって出来るかもしれない。

でも、それをやらない。

それをやろう!という人はいるのかもしれないけど、やらない。

こういうこところも好きですね^^

楽譜をめくるときは弦楽器の1列(半数)が演奏を中断して楽譜をめくる。

そのときもう一方の奏者は音量が落ちないように一生懸命大きな音を奏でる、ということもやっている。

いい関係だなぁと思う。



と、いつも通りまとまらないけど終わりです^^


じゃんじゃん