起きてはいけない悲劇。
決して、現実のものとなってはいけない犯行。
世界にはそういう事件が現在(いま)でも起こる。
今回の事件もそのひとつ・・
休刊日を挟んだ今朝の紙面は怒りと悲しみにみちていた・・・
いくつかの新聞を読んだ。
そして、このオトコには“ものがたり”があったのだろうか、と思った。
それぞれの人の心にはいくつかあるであろう“ものがたり”が。
ものがたりとは、いろんな人の人生。
それは小説やエッセイ、歴史、または友人・知人をとおして知るいろんな人の真実のストーリー。
音楽家の生涯だってすごいものだ。
葛藤に葛藤をかさねてひとつの楽曲がうまれる。
苦しいからこそ作曲をしようとする作曲家は多い(ほとんどじゃないかな)。
小説家でも“書かないと死んでしまうほど苦しい”ことがあるから書く。
みんなそれぞれのストーリーがある。
そういうことをどれくらい知っていたのだろうか。
いろんな“ものがたり”を知っていると、これほどの凶行は考えついても実行にはいかないはずだ。
人のつながりが希薄だといえばそれまでだ。
現代人は総じて希薄なのかもしれない。
反対に濃い人とのつながりというのは充実感や安心感はあるが、大変なことだってある。
そういうものだ。
でも濃い人間関係は、そこに必ず“ものがたり”がある。
お互いに葛藤して考え抜いて道をみつけて一歩ずつ歩いていく。
そういうものだ。
ゲームが悪いと言う。
バーチャルな仮想イメージが現実と区別がつかなくなるからゲームは害だ、と。
それはそれで要因の一部だとオレも思う。
しかし、ゲームだってたまにやればストレス解消になるから有益な面がある。
オレはゲームがよくないのは“時間を奪う”ことだと思った。
あまりにゲームがおもしろいから、“ものがたり”を知るべく読書の時間が減ってしまっている。
(読書がすべてとは言わないが、知識を得るには最高の手段なのですよ。ナチスは人々が知識をつけないように本を燃やして消滅させた。書物を恐れていたのだ。)
まあ、しかし、ゲームがこの世になくとも、そういう人がすぐさま読書にいくとは思えないな。
おそらく似たような遊びをみつけるだけだろう。
「暇だから、藤沢周平でも読もうかな」なんてなるわけがない。
では、なんなんだろう。
そもそも読書をする目的は、“知らないことを知りたいという欲求”があるからだ。
少なくともオレの場合の理由はまずはこれ。
世の中のいろんな仕組みが知りたい。
人間の気持ちが知りたい。いや、そもそも人間という存在は何だ?とか。
それは裏をかえせば、「オレという人間は一体なんなんだ?」ということにも繋がるが。
芸術や社会の本質が知りたい!地球や宇宙のことも知りたい!
・・とかいろんな“知りたい”欲求があるから本を読む(そんな堅苦しいものでなく、結局そういうのがたのしいから読んでいるだけだけど)
だから、本を読まなくなってしまった人は、“知りたい欲求”を忘れてしまったのかもしれないな。
誰だって子どものころは好奇心に満ち溢れている。
それが人によっては、大人になるにつれ好奇心がなくなってしまう。
好奇心がなければ、原動力がなくなることでもあるので、“単にたのしいこと”に走りがちにならないだろうか。
だってそっちのほうがおもしろいんだから。
なんだか、そう思う。
このオトコがどういう人物なのかは知らない(新聞ではいろいろ読んだが)。
もっと大変な人生を送っているヤツだって世の中にはたくさんいるが、こんな犯罪は絶対にしない。
悪いヤツだってたくさんいるが、こんなことはしない。
このオトコは、やってはいけないことをやってしまった。
決して、現実のものとなってはいけない犯行。
世界にはそういう事件が現在(いま)でも起こる。
今回の事件もそのひとつ・・
休刊日を挟んだ今朝の紙面は怒りと悲しみにみちていた・・・
いくつかの新聞を読んだ。
そして、このオトコには“ものがたり”があったのだろうか、と思った。
それぞれの人の心にはいくつかあるであろう“ものがたり”が。
ものがたりとは、いろんな人の人生。
それは小説やエッセイ、歴史、または友人・知人をとおして知るいろんな人の真実のストーリー。
音楽家の生涯だってすごいものだ。
葛藤に葛藤をかさねてひとつの楽曲がうまれる。
苦しいからこそ作曲をしようとする作曲家は多い(ほとんどじゃないかな)。
小説家でも“書かないと死んでしまうほど苦しい”ことがあるから書く。
みんなそれぞれのストーリーがある。
そういうことをどれくらい知っていたのだろうか。
いろんな“ものがたり”を知っていると、これほどの凶行は考えついても実行にはいかないはずだ。
人のつながりが希薄だといえばそれまでだ。
現代人は総じて希薄なのかもしれない。
反対に濃い人とのつながりというのは充実感や安心感はあるが、大変なことだってある。
そういうものだ。
でも濃い人間関係は、そこに必ず“ものがたり”がある。
お互いに葛藤して考え抜いて道をみつけて一歩ずつ歩いていく。
そういうものだ。
ゲームが悪いと言う。
バーチャルな仮想イメージが現実と区別がつかなくなるからゲームは害だ、と。
それはそれで要因の一部だとオレも思う。
しかし、ゲームだってたまにやればストレス解消になるから有益な面がある。
オレはゲームがよくないのは“時間を奪う”ことだと思った。
あまりにゲームがおもしろいから、“ものがたり”を知るべく読書の時間が減ってしまっている。
(読書がすべてとは言わないが、知識を得るには最高の手段なのですよ。ナチスは人々が知識をつけないように本を燃やして消滅させた。書物を恐れていたのだ。)
まあ、しかし、ゲームがこの世になくとも、そういう人がすぐさま読書にいくとは思えないな。
おそらく似たような遊びをみつけるだけだろう。
「暇だから、藤沢周平でも読もうかな」なんてなるわけがない。
では、なんなんだろう。
そもそも読書をする目的は、“知らないことを知りたいという欲求”があるからだ。
少なくともオレの場合の理由はまずはこれ。
世の中のいろんな仕組みが知りたい。
人間の気持ちが知りたい。いや、そもそも人間という存在は何だ?とか。
それは裏をかえせば、「オレという人間は一体なんなんだ?」ということにも繋がるが。
芸術や社会の本質が知りたい!地球や宇宙のことも知りたい!
・・とかいろんな“知りたい”欲求があるから本を読む(そんな堅苦しいものでなく、結局そういうのがたのしいから読んでいるだけだけど)
だから、本を読まなくなってしまった人は、“知りたい欲求”を忘れてしまったのかもしれないな。
誰だって子どものころは好奇心に満ち溢れている。
それが人によっては、大人になるにつれ好奇心がなくなってしまう。
好奇心がなければ、原動力がなくなることでもあるので、“単にたのしいこと”に走りがちにならないだろうか。
だってそっちのほうがおもしろいんだから。
なんだか、そう思う。
このオトコがどういう人物なのかは知らない(新聞ではいろいろ読んだが)。
もっと大変な人生を送っているヤツだって世の中にはたくさんいるが、こんな犯罪は絶対にしない。
悪いヤツだってたくさんいるが、こんなことはしない。
このオトコは、やってはいけないことをやってしまった。