■チョムスキーさんの書かれた本を読んでいる。

ここには忘れかけている大切なことが書かれていて、じっくりと読みすすめている。


自分の考えをもって、それを言うことの大切さ、というか必要さ、というのかな・・

例えばいま僕が属している組織なんてのは、目に見えない一様化がすすんでいるので、ある一定の考え以外は到底とおらないような雰囲気がある。

僕はそう感じている。

こういうとき、まったくとっぴな別な考えが浮かんがとしても、その結果を懸念して胸にしまってしまう。
または、そもそも違った考えなどは出ないような環境になっている(その当人にもよるけど・・)。

その結果、スローガンでは「自由な環境」を大々的にアピールしているけども、実態はその反対にどんどん多様な面は排除されてしまう・・

こういうことは世の中にままあることだ。

それはトップの意識ばかりではなく、一般の人たちにも浸透していってしまう。こうなるとなかなか根強いので改革するにはより難しいものになる。

そういう状況にあると感じている。

閉塞感はここにある。


■高校のときなどはけっこうアホな事をいう奴がいて、そいつをはじめはバカにするんだけど、そいつは一生懸命自分の考えを言うんだ。

そいつは確信があって訴えるものだから、聞く方もだんだん耳を傾ける。

耳を傾けるということは、こっちもようやく聴く姿勢になっているので、内容を理解しようとする。

それが納得できて、「なるほど。そういうこともあるな!」となるとその人間も認めるようになるもので、一目置くようになる。

この時代はしょっちゅうそんなことがあって、いろいろ言い合っていた。

たぶんオレもそうとうバカなことを言っていたと思うけど、それは自分の中では真剣な考えだったりする。

”一般”と違うから言わないようにしよう・・ということはしなかったし、言えない雰囲気もなかった。

今は一般と違う考えは言いづらい雰囲気がある。

こういうときほど違う考えをじゃんじゃん出していかないと危ない。

違う考えといってもテキトーになんでも文句をいうのとは全然ワケが違う。


同一化は危機的状況の1つだ。