
たぶん学生のとき以来だろうね、いくつかのシーンしか覚えていない。
ラストシーンなんかは完全に忘れていて、感動のうちに見終わった。
映画の場合“忘れる”ということは良いことだ。
はじめて観るような感動があじわえる。
映画を大事にしたいのだったら好きな映画ほどそんなにしょっちゅう観ないことだ。
10年に1回くらいのペースで観ればいつでも新鮮に接することができる。
だから映画は録画しても観たらすぐに消しちゃうし、DVDは買わない。
でもこれが音楽の場合だと話しはちがう。
感動的なコンサートの記憶はずっと覚えておいてたまに思い出したいもの。
コンサートでは懸命に記憶にインプットさせようとしている。
映画はその逆。
観終わったときから忘れようとしている(笑)
■さて、この映画。
いいねぇ!
スコセッシ監督の初期の作品だけど、すでにスコセッシ調が出来上がっている(当たり前だけど)
それと、どこか実験的で挑発的な作風に感じた。
デ・ニーロの疲れ果てた無表情なんかはすごく存在感があって印象にのこる。
そうだ、これを観たのは高校のときだ。
デ・ニーロ演じる“トラビス”に似ているクラスメートがいて、そいつを“トラビス”と呼んでいた覚えがある。
この男のあだ名は他にもあった。
それは“おじかま”というあだ名で、妙におじさんチックでおかまチックだから“おじかま”
まんまだな。
おじかまとはよく映画を観にいったりして仲良くしていた。
おじかまのヤツ、いまごろどうしているかなぁ・・
ちょっと話しは脱線した。
この映画はあまりに純な男が正義を実行しようと狂気に走るというもの。
しかし、最後は偶然にも一躍時代のヒーローになってしまうのだ。
その後に乗せた女性客とのやり取りがおもしろい。
この女性客は以前トラビスをふった女性(アレではトラビスも振られて当たり前だけど)で、とびっきりの美人で社会的地位の高い人。
言ってしまえばトラビスにとってはとうてい手の届く存在ではない。
でも、この女性はヒーローになったトラビスに会いにタクシーに乗った。
愛想よく意味深で好意的な視線をトラビスにおくるが、彼はそれをかわす。一定の距離感を縮めようとしない。
立場は逆転したのだろうか?
いや、そういう単純なことではない。
トラビスはすでにこの女性は頭から離れてしまっているが、それだけではなくもっと深い意味がありそうだ。
振った相手がたまたま人気者になったから近づいてきたという“軽いオンナ”ということでは、この女優さんは表情がやわらかく人の良い感じが強いので、そういう印象ではない。
しかも、エンドクレジット前のシーンではバックミラーに何かが映ってトラビスは驚愕の表情をする。
この女性を降ろしてしばらく走ったあとに彼はバックミラーで何を見たのか?・・・わからない。
この分からない終わり方も悪くない。
なんなんだろう・・あれは?と観客の想像心をわきたてる。
僕は、トラビスはじつはまだその女性を心のどこかにひきずっていたんだと思う。
でも、自分に媚びるようなその女性の視線を見て、自分でも驚くくらい気持ちが冷静になった。
でも、そう簡単に割り切れるほど起用な男ではない。
トラビスがバックミラーで見たものは、そうした後戻りしない気持ちとの決別の(自分の)表情、かなと・・
読みすぎ?^^;
ま、今回はこの辺で。
じゃんじゃん