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■今でもたまに大学時代の友人と飲んだりする。
みんなそれぞれだけど、偉くなったヤツもいればリーマンを辞めて独立するヤツもいて、みんながんばっている。
ひさしぶりにEメールで連絡をとりあうと、会社モードの文章になっているヤツがいる。
みょうに堅い・・^^;
そういうのはどうもぎこちないので、こっちからくずした文章をおくる。
そうすると相手も学生時代のような文章にもどる。
意識しないと会社モードのまんまになってしまうのは、今のオレらの年齢や立場を考えると無理のないことかもしれない。

基本的に男どうしの友達ってのは数年ぶりに連絡しても、ついこの前会っていたかのようになんでもなく話がすすむ。
「ひさしぶり!元気?」
「うん、おまえは?」
なんて具合に時間の溝なんかは関係ない。
でも、相手が出世して偉くなったりしたヤツは、どうしてもその立場で接することが多いからか、それが当たり前のスタイルになってしまうことがある。
そういう時はさっきみたいに学生時代のラフな関係に引き戻すために当時の話し方をする。
こっちがそんなラフな態度だから相手もあっさりと戻ってくる。
そうでないとおもしろい話などはできっこない。

考えてみればプライベートのときはいろんな“立場”や“肩書き”というものをできるだけなくしていく。
たんなる○○○(名前が入る)という人間になる。
それを相手にも求めてしまう傾向があるので、戸惑う人もいるけど、その方がラクだし楽しいと分かれば相手もこっちに合わせてくれる。
学生時代の友達以外の人と会っていてもそれは同じで、とことん“立場”をなくした会話をしたいので、そうしている。
それでも“立場”を守る人は多い(ウチの会社の上司に多いかな^^;)。
それはそれで仕方がないのだけども、これはよっぽどの場合じゃないと面白みが感じられない。
立場というのは、その人の本当の姿からほど遠い存在であるから、話す内容もつい表面的になってしまう。
それがあまりに顕著だと、「この人から“立場”をとったら何んにも残らないのではないか?」などと思ってしまう。
性格上どんな人とでも同じような話し方をしたいと思っているし、内容だって相手によってそんなに変えたくはない。
いろんな人の考えを知るのは、結局は自分を知ることにもなる(最終的には自分という人間を知りたいからなのだろうか・・・)

なんでオレは“立場”というものを意識したくないのか?とよく考えるけど、これはよく分からない。
子どもの頃からこういうスタイルはさほど変わっていないし、すっかり根付いてしまっている。


■河合隼雄さんの『「日本人」という病』というおもしろい本を読んでいるので、こういうことを思うのかな~^^
この本によると人は「分ける」世界と「融合」の世界に生きているという。
そのどちらかに寄って生きていくことは大変厳しいことになる。
簡単にいうと「分ける」世界とは組織・規律・社会といった形式や表面的な事であって、これがないと社会はうまく働かない。
反対の「融合」世界とは物事の本質や内面のことであって、これが極まるとお坊さんになったりする人もいるらしい。
なるほどな~!と思った。
自分は「融合」世界の意識が強い。
もちろんうまくバランスをとって生きているけど、会社組織のように「分ける」世界はずっと苦手だ。
極力そこから抜け出ようとしている。
でも、生きていく以上はある程度は仕方ないとおもって、「分ける」世界にもいる。
しかも、どうせならそこで出来る限り楽しもうとしている。
自分のそういう一面が分かって、感慨深い思いになっている。



じゃんじゃん