世界を意識して生きる

■先週金曜日の小澤征爾指揮新日本フィルによるチャイコフスキー『悲愴』第3楽章を聴いていて、ふと気づいた(これは小澤さんの人生観や生きていくうえでの姿勢ともいえるけども)

それは(僕は)もっと世界を意識しながら生きていかないといけない、もっと世界に関心を持たないといけない、と・・(こう書くとなんだか「たいそうなこと言ってるなぁ・・」って感じだけど、そういうことでもないんです^^;)

この世でいま生きている以上は、どの人もどうしたってなんらかの形で世界と繋がっていると思う。それはグローバル化が進んで世界のあらゆる出来事が瞬時に知れるようになったからじゃない。

もともと人というかすべての生き物は世界中のあらゆることと無関心ではいられない、なんらか関与し合って生きている。種々個々がブツブツに切れている存在なんかではないのでは・・と、いつのころからか思うようになった。

しかし、最近の僕は忙しいからなのか、気持ちにゆとりがないと思っていたからなのか、世界(世の中)から目を背けがちになっていた・・・

ミャンマーのサイクロンや中国四川大地震による惨事の報道は、見ると辛い思いになるという理由から積極的には接しないようにしていた。
でも、彼らの悲痛な想いは決して他人事ではない。

“対岸の火事”と簡単にとらえて、気持ちから切り離してしまうのは、根本的に決定的に間違っている・・・苦しみを知ってしまった以上はそこから目を背けるべきではない。

なにも聖人君子的な“清く正しく美しく”などということではないですよ。
うーん、なんていうのかな・・

世界から目を背けることは、結局は身近なことからも目を背けてしまうことにもなりかねない。
それに、こういった姿勢は僕が昔から考えていた求めるべき生き方ではなくなってしまう。
楽しい幸せな出来事ばかりを追い求めるのはなく、辛いことも厳しいことも“現実”を捉え続けないといけない。

そうでないと、結局は間違った状況判断をしてしまう危険性がある。
自分が信じた道を歩いていると思っていても、どこか違う脇道を歩いているかもしれない。しかもそのことに気がつかない。

だから、自分の芯(核)がずれないためにも、世界を常に意識しないといけない。


『悲愴』3楽章を聴いていて、個人が世界の一部であるという意識を持つことは、大切だと思ったんです(小澤さんに思わされたのかも)。


■小澤征爾さんは、世界をしょって生きている。世界とともに生きている。
それが音楽となって表現される。聴く人は音楽をつうじて彼のメッセージを汲みとる。
音楽を聴くという事の素晴らしいことの1つは、そういうことなのだろうね。


『答えは自分のなかにしかない』

これもあらためて意識させられる。
世界を意識しつつもそこに自分のなかで醸成を繰りかえし続けた思考を持つことも大切。
なんども言ってしまうけども、いつの時代でも、世の中に絶対これだという正解はないと思う。
その人にとっての“正解”は自分で見つけるしかない。答えは自分の内面にしかない・・


■小澤さん、体調崩されて今日と明日の公演は中止になったそうです。
東京では元気な指揮ぶりだったので、大事にはいたらないと思いますが、ちょっと心配です。



つづく