■久しぶりに新入社員がウチのグループに入ってきた。

この若いのは、人間的にまともで良い要素がまだまだ残っているヤツなのでうれしい。

この要素を失わずにキープできるかどうかは周りの影響もあるが、最終的には本人次第だ。
(もちろんオレも一緒に仕事をしていく中でそこは大切にしていきたい)

一方で、先日久しぶりに先週入社2年目のヤツと話しをしたが、かわいそうなほど愛想笑いが板についてしまっていた。
どこか痛々しい・・そんなに卑屈にならないでいいのに・・そうせざるを得ないから仕方なくそうなってしまったのだろうか。

とはいっても、多少はそういう無理して相手に気づかうことは必要なこと。

でも、そればかりが度を越えてしまうと自分を見失ってしまってしまうので、これはよくない。


どんな環境においても言えることだけど、そいつに“ここは譲らない”という意地がないと流されていってしまう。

そういうのが集まるとなんだか同じような表情をした集団になってしまい組織としての魅力がなくなる。

これは多様性を認めない風土のせいもあるのだが、“自分はどうしたいのか”という芯を意識して時間を過ごすことが大切なのだろう。

周囲よりもまずは自分(身勝手とは違いますよ^^;)

だから常々「そこは大変だけど染まらないように気をつけた方がいい。」と言っている(意識していないと忘れてしまう恐れもあるし)

自分を殺して何にでも言いなりになってしまうようではダメで、そういうクセをつけてはいけない。

調和は大切だけど、それはまずは己があってこその話であって、自己がちゃんとしていないと迷走するだけになってしまう。

日本はただでさえ協調性を強いられる国なんだから、反対に自己の確立に力を入れるほうがいいのだ。

必要以上にヘラヘラすることはまったくないし、そんなことをしている暇はない(日本の男はよくヘラヘラしている。別に可笑しくなかったら笑わないでいいのに・・・)。

周囲の太鼓持ちなんかするよりもそいつがやるべき(やりたい)充実したことはいくらでもあるし、そっちに重点をおく方が人生ひらけてきて楽しい。

新人のあいつがどうなっていくか楽しみだ。


■そうはいっても、2年目のヤツのように変わってしまう人も全部が変わってしまうわけではない。

自分の家にもどって家族と接すればそこは昔のまんまの自分でいられるわけだ。

結局オレもそうだけど、相手によって多少なりとも自分を使い分けるものなんだろう。

ある友達の前では無意識にその友達に合わせた自分になるし(自分がその人と会って居心地がいいと感じることは、“好きな自分”でいられる相手だということだと思う)

では、使い分けることが良くないのではなくて、その度が超えてしまうところに問題があるのか(やっぱりバランスかな)

こう考えると、どちらかの対極が絶対に良い!なんていう事柄なんてのは、世の中にあんまりないのかもしれないな。