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■昨日はプロコフィエフのピアノ協奏曲第3番(ランラン、ガッティ、コンセルトヘボウ)を聴いていた。

聴きながら『社会』について考えていたことに気がついた。


■具体的にはこんな感じ・・・

先日子どもが通う小学校に行ったときに『あいさつをしましょう』『廊下を走らないようにしましょう』という標語が貼ってあった。

小学生のみんなは僕たちに気持ちのいい挨拶をしていた。
廊下は走っているけど(笑)

かたや、ウチの会社にも標語がはってある。

小学校と同じ文言で『あいさつをしましょう』とか『机の上はきれいにしましょう』などなど

しかし、なんの効果もなくしないやつはしない。

標語や先生の教えのとおり素直に実行するのは小学生で、大人には標語の効果は期待できない。

いや、それよりも、子どもにとって挨拶をするのは当たり前の事でなんの疑いをもっていないようだ。

人間だったら知り合いに会ったら挨拶をする。

友達どうしだったら「よお!」とか軽い挨拶でも立派な挨拶だ。

逆にガキ同士で「こんにちは」と言っていたら変だ(笑)

しかし、大人たちがなにも言わないのはどう考えてもおかしい。

こんなに人が密集しているのにあまりしゃべらない。

ものを言わない社会・・・

っていうか、こんなに当たり前のことができない国民が多くいる国ってどうなんだろう?

こういうところに、この国が抱えている目に見えない深い闇・危機をかんじてしまう。

・・・

とはいっても総合的に見てまだ日本はマシな国であるとも言える。

マイナス部分にばかり目を向けるばかりでは社会全体を見ているとはいえず、偏っていることになる。

これは公平ではない。なので、もっと大きく視野をひろげて、全体を見ながら考えていこう

・・・という具合に


■プロコフィエフの音楽はどこか都会的なイメージがある。それでついそう考えたのかもしれない。

バッハやモーツァルトではもっと根源的なテーマ。

人間や地球・宇宙について、思う。

ベートーヴェンはどうだろう・・

聴く音楽によって考える事柄が決まってくる・・

こういうのは、なんだかおもしろいね。


■あることを考えたいという欲求から深層心理のどこかでCDを選んでいるのかもしれない

なんとなく気になることがあって、そのことをふかく考えたいとき。

単に楽しみたいということより、そういう理由からCDを手に取ることだってあるのだろう。

そもそも音楽を聴くと頭が活性化するものだ。

左脳だか右脳が水をえた魚のように活発に活動しはじめる。

思考範囲もぐんと広がる。

音楽には、いろんな哲学や啓示やヒントがふんだんに含まれている。

ソプラノ歌手のクリスタ・ルードヴィッヒが言っていたことが分かるようになってきた。

「私の哲学は音楽からおしえてもらっている」と