■むかしっから本屋さんを目的なくうろつくことがすきで、ヒマをみつけては店内をウロウロしている。

大きな書店は一般の書店より魅力的な書籍がたくさん揃っていて、つい「オレが生きているうちに、これを全部読むことはできないなぁ・・」などと当たり前のことを思ってしまう^^;


世の中は、自分にとって有益な知識や情報があふれている。

音楽にしたって、サントリーホールでは毎日のようにコンサートをやっているわけだし、世界をみわたせば各地で素晴らしい演奏がくりひろげられており、人々は感動している。

それらを1つ1つという単位でみると、ごく少数の人しか体験していない。


■これだけ情報が発達している世の中でも、人の受容能力は変わらないので、受けとることができる事柄はほんの少しでしかない。

世の中にある自分にとって有益な体験や知識でも、生涯まったくふれることのないものなんかたくさんある。
むしろそっちのほうが圧倒的に多い。

それでも、どういう仕組みか分からないけど、誰でもその人に大切なものに“偶然”出会って生きている。
大切な人との出会いや、本や音楽などの趣味、うつくしい風景との出会い・・なんでもかんでもそうだ。

そう考えると、やまのようにある書籍のなかから偶然出会う運命的な書籍は、それだけでも愛着というか、特別なものを感じてしまう。

また、こういう偶発的で自然なアバウトな感じなのがいい。

偶然の人との出会いや、たまたま手に取った本というのは、なぜかそのときの自分に必要なことだったりする(稀に生涯にわたって大切な存在となったりもする)

欠けていた“何か”を補ってくれたりしてくれる。

さらに、新しいステップにすすむヒントとなる場合だってある。


計画や計算のない偶発的な出会いにこそ、大切なものがある。という気がしている。


無意識に生活していると、すべての有益な事柄を欲しがちだけど、はじめっから「そんにすべてはいらない」と思っていると気楽にすごせるものだ。


■しかし、なぜ、人は(僕は)そんなに多くのものを欲しがるのだろうか?とも思った。

たぶんそれは人間の自然な形(欲求)でもあるのだろう。

もしくは、市場主義経済の先進国で生きているので、無意識のうちに購買意欲を掻き立てられていて欲が強い人間になってしまっているのだとも思う。
(モノを買わなくなると経済が破綻をきたすということを言われていて、消費者は何かと刺激されてモノを買わされ続けているが、ホントはいいように利用されているだけではないのか?とも疑う)

いずれにせよ、これだけ世界中のいろんな出来事や魅力的な商品が目に入る世の中だから、現代人は欲しいものだらけで大変だ。

知らなければ欲しがらないですむが、知ってしまう。知らされてしまう。

目につけば、自然と“欲しい”という欲求がでてきてしまう。

でも、外部から受けとることより、自分の頭で考えることの方が大切であるので、ことさらいならいものを意識して受けとらないようにしたほうがいい。

「すべてはいらない」を強く意識する必要があるのだろう。


ほんとうに大切なものはそんなにたくさんあるものじゃない。



・・うまくまとまりませんでしたが、こんな感じです。


うっきゃー(笑)