■HDDに録画しておいた映画を、合間をぬって観ている。
映画を何回かにわけて観ることは好きではないけど、そうでもしないと今は観られる状況にないので仕方なくそうしている。
来月5日のNHKハイヴィジョンでは指揮者ヘルベルト・フォン・カラヤン生誕100周年を記念してのこれまたえらく長大な番組をやるので、HDDを空けなくてはならないという理由もあるが・・
『マーサの幸せレシピ』と『ホテル・ルワンダ』を観た。
■『ホテル・ルワンダ』は数年前に実際にアフリカでおきた恐ろしい人間の物語。
ツチとフツの部族間闘争により100万人もの死者を出したとされる実話に基づくストーリーで、人間性をなくした異常で信じられない野蛮による殺戮は、映画とわかって観ていても苦しい。
ずっと隣に住んでいた人が部族が違うと言う理由だけで、いきなりナタで切りかかってくる。
ある指導者のそうとうな扇動力により、無知な一般市民が次々と殺人者に変わってしまうという、人間自体の不完全さと危うさが最も印象的でこわかった。
こうも簡単に変わってしまう人間と言う存在を僕はまだ理解できていない。
■数ヶ月前の新聞で、最近のツチとフツの関係の記事が書かれていた。
親類や友人を殺された遺族達の家を建てているのだが、殺戮を犯した青年達がその手伝いをしているというもの。
新聞には2つの意見が載っていた。
「彼らの手を借りるなんてとんでもない。顔も見たくもない。」というような言葉。
僕が彼の立場だったら同じことを言うだろう。
それと、「過去のこと(虐殺)は許す。これからの民族間の発展のために彼らの好意を受入れる。」という女性の意見。
これを読んで、「なんでこの人はそこまで許すことができるのか?」「亡くなっていった人達のためにも許していいものなのか?」と思った。
おそらく、“許す”と言っている彼女もはじめっからそういう心情ではなかっただろう。
むしろ深い悲しみと喪失感、それに激しい憎悪しかなかったろうに・・
人間関係という括りでいうと我々が日常で経験する人間関係のいざこざから、このような民族間の紛争までさまざまだ。
それをうまく解決するキーとして“許す”精神はとても重要だと思う。
大切な人を無残にも殺されたにもかかわらずその人を許すと言った人はどんなことを考えてそういう経緯にいたったのか。
戦争・紛争時は人間性を喪失させてしまう異常な状態、そのなかで生きるには他意で殺人者になってしまったのかもしれない。
彼もその1人で紛争がなくなって平時になれば、根は良い普通の人間だということがわかった。
それに今では自分の愚行をふかく反省している。
どんな償いをしても償いきれないことは彼も承知のうえで家を建てる手伝いをしたいと言ってきている。
そういうところを見ていくうちに、徐々に彼女の閉ざされた心の奥から許すという気持ちが芽生えたのだろうか・・・
「許す」と言ったこの彼女を僕は立派だと思う。
自分の心情・立場のほかに民族全体の発展のことにまで思考が向いているからだ。
未来のことを考えている。
女性のすばらしい特性の1つがこれ。
一般に女性は、過去に執着しないで現在と未来に目がむけられている。
これは僕も見習わないといけないと思っている^^;
次は『マーサの幸せレシピ』についてです。
これもすばらしい映画でした。
映画を何回かにわけて観ることは好きではないけど、そうでもしないと今は観られる状況にないので仕方なくそうしている。
来月5日のNHKハイヴィジョンでは指揮者ヘルベルト・フォン・カラヤン生誕100周年を記念してのこれまたえらく長大な番組をやるので、HDDを空けなくてはならないという理由もあるが・・
『マーサの幸せレシピ』と『ホテル・ルワンダ』を観た。
■『ホテル・ルワンダ』は数年前に実際にアフリカでおきた恐ろしい人間の物語。
ツチとフツの部族間闘争により100万人もの死者を出したとされる実話に基づくストーリーで、人間性をなくした異常で信じられない野蛮による殺戮は、映画とわかって観ていても苦しい。
ずっと隣に住んでいた人が部族が違うと言う理由だけで、いきなりナタで切りかかってくる。
ある指導者のそうとうな扇動力により、無知な一般市民が次々と殺人者に変わってしまうという、人間自体の不完全さと危うさが最も印象的でこわかった。
こうも簡単に変わってしまう人間と言う存在を僕はまだ理解できていない。
■数ヶ月前の新聞で、最近のツチとフツの関係の記事が書かれていた。
親類や友人を殺された遺族達の家を建てているのだが、殺戮を犯した青年達がその手伝いをしているというもの。
新聞には2つの意見が載っていた。
「彼らの手を借りるなんてとんでもない。顔も見たくもない。」というような言葉。
僕が彼の立場だったら同じことを言うだろう。
それと、「過去のこと(虐殺)は許す。これからの民族間の発展のために彼らの好意を受入れる。」という女性の意見。
これを読んで、「なんでこの人はそこまで許すことができるのか?」「亡くなっていった人達のためにも許していいものなのか?」と思った。
おそらく、“許す”と言っている彼女もはじめっからそういう心情ではなかっただろう。
むしろ深い悲しみと喪失感、それに激しい憎悪しかなかったろうに・・
人間関係という括りでいうと我々が日常で経験する人間関係のいざこざから、このような民族間の紛争までさまざまだ。
それをうまく解決するキーとして“許す”精神はとても重要だと思う。
大切な人を無残にも殺されたにもかかわらずその人を許すと言った人はどんなことを考えてそういう経緯にいたったのか。
戦争・紛争時は人間性を喪失させてしまう異常な状態、そのなかで生きるには他意で殺人者になってしまったのかもしれない。
彼もその1人で紛争がなくなって平時になれば、根は良い普通の人間だということがわかった。
それに今では自分の愚行をふかく反省している。
どんな償いをしても償いきれないことは彼も承知のうえで家を建てる手伝いをしたいと言ってきている。
そういうところを見ていくうちに、徐々に彼女の閉ざされた心の奥から許すという気持ちが芽生えたのだろうか・・・
「許す」と言ったこの彼女を僕は立派だと思う。
自分の心情・立場のほかに民族全体の発展のことにまで思考が向いているからだ。
未来のことを考えている。
女性のすばらしい特性の1つがこれ。
一般に女性は、過去に執着しないで現在と未来に目がむけられている。
これは僕も見習わないといけないと思っている^^;
次は『マーサの幸せレシピ』についてです。
これもすばらしい映画でした。