■今の日本は平和な状態といえるのか?と思わされる事件が連続している。

これらの報道に接するたびに、日本は徐々に悲劇的な犯罪が起こりやすい土壌になってきているように感じてしまう。


ほぼ毎日のように起きてしまっている残忍で無表情でやりきれない事件・・・

これらはけっして他人事ではない。

それは自分の周囲にもふりかかるおそれがあるからということではなく、自分が住む社会で起きている事である以上は無関心でいられるわけはない(いてはいけない)


社会への鬱憤、テレビやゲームによる脳の麻痺、家族・友人などとのコミュニケーション不足・崩壊による憎悪の蓄積、心の教養不足・・・原因はいくらでもあるし、それらは複雑にからみあっている。

しかし、原因の探求はいうまでもなく重要なことだけど、事態はもっと先へ進んでいる。

刑事事件の刑を重くして犯罪抑止力をあげるという対策は、僕は好きではないが、昨今の報道を見るとそれも1つの有効な手段なのかな、と思わされる。



加害者の「誰でもよかった・・」という言葉に社会権を与えてはいけない。

意味もなくそういう犯罪をおかしてしまったものの常套句になっているふしがある。
「そう言えばとりあえずはいい」と・・

これほど身勝手で利己的な事件に巻き込まれた関係者の方々の心情を察すると、誰でも締め付けられるような絶望感をもち、その度に「これ以上同じ悲劇は起きてはいけない!」と願うのに、翌日には似たような事件がおきている。

我々はさらに絶望の底に落とされることになる・・


■ニュースをメディアが読みあげる。

NHKのアナウンサーが一定の調子で読みあげていはいるが、ふと気がつくとそのリアルな内容や言葉の凄さに驚いてしまう。

でも、それは起こったことを正確に伝えるメディアという役割的には正しいことではあるが、なんだか危険な気配がする。

そのニュースにより事件の全容を見たり聞いているのは全国の国民。

老若男女、どんな立場の人間も知ることになる。

特にワイドショーでは興味本位の報道内容になっているので、ちょっと偏った見方になる。

報道に接している人は「またか・・・」と空虚な恐怖心を感じるが、もし、これから犯罪を実行しようという人間にとってみれば、「同じ手段でやって、同じ台詞を言えばいいんだな」という解釈にも取られかねない。

報道は難しい局面にきているのかもしれない。




ドイツの詩人ヘルマン・ヘッセは「人が成長できるのは平和な状態のみである」と言っていた。

戦争時のような極限状態は機械の発達では凄いものを発明するが、人間そのものは成長しない。

「人は成長し続けなければならない」とも言っている。


現在は戦時中のような極限状態ではない。

人が成長できる世の中である。

だとしたら、社会も成長していけるはずだ。