
前に放送した小澤さん特集や立川談志師匠特集もまだ半分くらいしか見ていない。
そんな最中、先日何気なく新聞をみていたら『ベルリン・フィル特集』なるものをこれまた7時間もぶっ続けでやるではないか!!
「このうえまたかい!!」とワクワクしながら、そっこうで録画セットした^^;
この番組ではベルリン・フィル歴代の常任指揮者・音楽監督の演奏を抜粋で流していたが、ラトルの『展覧会の絵』とヴァントのブルックナー交響曲第9番とザンデルリングのショスタコーヴィッチ交響曲第8番、それに小澤征爾さんのチャイコフスキー交響曲第6番『悲愴』は全曲放送してくれた!
NHK、偉いっ!!
抜粋のなかでもアバドが大病克服直後に演奏したヴェルディ『レクイエム』はたいへん感動的な激演だった。
最終曲のLibera me(我を救いたまえ)を放送していたが、アバドはまるで我がことに起こったドラマのように全身全霊で指揮していた!
胃の殆んどを切除してしまったアバドは、目を疑うほどガリガリに痩せていたが、その反面気合は凄まじいものがある。
アバド渾身の指揮にオケも歌手も持ちうる力のすべてを出しきって稀代の名演がうまれた。
僕もかなり感動して画面に釘付けになって聴いていた。
演奏終了後のアバドは感極まってなにもできないで目をつぶって感情をこられるのに必死だった。
聴衆もそれを知っていてか、シーンと静まりかえって指揮者の挙動を見つめている・・
アバドがやっと目をあけて指揮棒を下ろすと、やがてあたたかい拍手がパラパラとおきた。
このヴェルディのレクイエムはオーケストラと4人の独唱と合唱陣による壮絶な生と死のドラマで、僕はモーツァルトのレクイエムと同じくらい大好きな曲だ。
これを聴いてから人の歌声が気になりだした。「人の声ってこんなにいいものなんだなぁ・・」っと。
■それと小澤さんとベルリン・フィルによる『悲愴』。
これも大変な名演だ。
最近の小澤さんの意気込みがよく伝わってくる。
音楽の深いところまでを掘り下げていき、どのフレーズも意味が感じられた。
こんな説得力のある『悲愴』は聴いたことがないんじゃないかな。
小澤征爾さんは最近変わってきたのだろうか?
音楽の美しい部分をより磨きをかけるような表現から、音楽そのものの内部、真髄を表現することへ移行していっているような印象を感じた。
小澤さんの『悲愴』はサイトウ・キネンで聴いたことがあった(ライヴで)。
じつはこのときの演奏には疑問を感じた。
それは、あまりにも表面的な解釈だったように聴こえ、松本文化会館のロビーを歩きながら、「小澤さんの目指しているものは僕の望むものとは違うな・・」と思ったものだ。
でもその後、水戸室内管弦楽団の東京公演をサントリーホールで聴いたときには、「これが小澤さんの目指したものだったのか!」とようやく納得し、深い感銘をうけたものだった。
これ以上の洗練された美しい音楽は聴いたことがなかった。
でも、このベルリン・フィルとの『悲愴』はそれとは違った。
美しさのうえにさらに深みが増していて壮絶な色合いが強くなってきたというか・・
これからの小澤さんは本当にすごい指揮者になってきそうな予感がした。
リハーサル風景も興味深い。
終楽章の展開部に入るところでは、「ここは、作曲者の胸の内部でとんでもない悲劇が起きています」と楽団員に解説。
「(ベルリン・フィルのようなオケに)こんなことは初めにしか言いませんが、どうか最後まで気持ちを込めて弾いてください!」といった指示もしていた。
また、小澤さんはどこへ行っても小澤さんで、演奏がおわると、聴衆に挨拶をするのではなく、オケ内部に歩いていって各パートの手をとり感謝をしめす。
サイト・ウキネンスタイルだ^^
楽団員も小澤さんを信頼しているのがよくわかる。
それにボストンレッドソックスのジャンパーをはおってベルリン・フィルのロビーを歩いているのも彼らしい自然なスタイル^^
■ベルリン・フィルの特徴で一番おもしろかったのは、その積極性。
自己主張をしない人はこのオケには必要ない。
出だしを間違えても堂々と弾きとおせば拍手喝采されるというエピソードはこの特性をうまく語っていた。
ベルリン・フィルはこれからも積極的なオケであり続ける。良いものはどんどん吸収し、新しい分野をじゃんじゃん開拓する意気込みを感じる。
これはラトルの姿勢とも合致する。
名実とも世界1のオケなわけだと納得した。