■その後また気がついたことがあった。
生き物の目的は、進化すること自体ではなく、生きのびることだということ(種のバトンタッチ)。
進化しつづけることが重要なのではないのだ。
であるとすると、進化しなくとも環境の変化に適応できて、生きぬいていければ良い。
また“環境への適応”というのは生きのびるための手段の1つにすぎない。
退化する道を選んででも生きのびようとする生き物だっていそうなものだ。
なので、先日書いた人類の変化(退化)は、(人が作りだした機械文明社会という)環境に適応している状態ともいえるわけで、この潮流にのっかった人達が実は生きのびてゆくのかもしれない。
未来の人類を予測して書かれた妙に頭でっかちで身体が異様に縮小している画があるが、あれは実は正しい知識と見識によって書かれたもので、否定するとかそんなことではないのかもしれない(僕は否定したくなるが・・)
社会はそれ自体が意識をもった生き物のようにどんどん“ある方向”に向っていく。
そこで生きている人々はいやおうなしに変化と適応を求められる。
これは今に始まったことではなく、人類はずっとそうやってきた。
近代の日本だけを見ても明治維新から平成になるまでにとんでもない激変を体験している。
人類史そのものが“人がつくりだした社会環境の激変による適応”だったのかもしれない。
■ずっとむかし、「花はなんで咲くの?」と訊かれたことがあった。
しばらく考えて、「植物が生きてゆくには昆虫の助けがいる。その虫をおびき寄せるために競ってきれいな花を咲かせる必要があるんじゃないのかなぁ」となんの夢もない答えをしたことがあった。
その人は「なるほどねぇ・・」なんて言っていたが、あまりの素っ気ない発言にいまいち納得がいってないようだった。
でも、これは今でもそういうことだろうと思っているけれど、広大な野原に咲き乱れる美しい花々を見ていると、どうもそれだけではない気がしてきた。
植物が“生”に貪欲になって自己主張した結果に美しい花を咲かせる、という現実的なことよりも、何か別なものがあるように感じてしまう。
それは人のDNAの内部に“花は美しい”と感じる機能が組み込まれているからなのだろうか。
そうではなく、地球で起きている正しい秩序にそったさまざまな連鎖が、人にとっては美しく映るのかな、と。
いやこれは人がそう感じるということでなく、実際に美しいものなのだろう。
宇宙人が見たとしても「この惑星は美しい」と思われるだろう、と(笑)
そうなると、地球は、放っておくと自然に美しくなっていく仕組みをもった惑星だと言えるかもしれない(自然の再生能力)
“放っておく”というのは人の手を加えないということ。
でも、人の手によって作られた日本庭園や田園風景は美しいものだと思うので、この限りではないけど・・^^;
この美しい惑星に生命をもって生きている我々生き物は、生きのびようとする意思をはじめっからインプットされている。
そしてその生きるための生物の競争・戦いも地球の美しさを保つ秩序の1つなのかなとも思う・・
なんだかものすごく壮大な話になってしまいましたね。
しかも、ルービー飲みながら書いているので、うまくまとまりません^^;
聴いている音楽はフランシス・レイが書いた映画音楽。
これは古きよきフランス文化の味があって、うっとりするようなメロディーの宝庫です♪
ちゃんちゃん
生き物の目的は、進化すること自体ではなく、生きのびることだということ(種のバトンタッチ)。
進化しつづけることが重要なのではないのだ。
であるとすると、進化しなくとも環境の変化に適応できて、生きぬいていければ良い。
また“環境への適応”というのは生きのびるための手段の1つにすぎない。
退化する道を選んででも生きのびようとする生き物だっていそうなものだ。
なので、先日書いた人類の変化(退化)は、(人が作りだした機械文明社会という)環境に適応している状態ともいえるわけで、この潮流にのっかった人達が実は生きのびてゆくのかもしれない。
未来の人類を予測して書かれた妙に頭でっかちで身体が異様に縮小している画があるが、あれは実は正しい知識と見識によって書かれたもので、否定するとかそんなことではないのかもしれない(僕は否定したくなるが・・)
社会はそれ自体が意識をもった生き物のようにどんどん“ある方向”に向っていく。
そこで生きている人々はいやおうなしに変化と適応を求められる。
これは今に始まったことではなく、人類はずっとそうやってきた。
近代の日本だけを見ても明治維新から平成になるまでにとんでもない激変を体験している。
人類史そのものが“人がつくりだした社会環境の激変による適応”だったのかもしれない。
■ずっとむかし、「花はなんで咲くの?」と訊かれたことがあった。
しばらく考えて、「植物が生きてゆくには昆虫の助けがいる。その虫をおびき寄せるために競ってきれいな花を咲かせる必要があるんじゃないのかなぁ」となんの夢もない答えをしたことがあった。
その人は「なるほどねぇ・・」なんて言っていたが、あまりの素っ気ない発言にいまいち納得がいってないようだった。
でも、これは今でもそういうことだろうと思っているけれど、広大な野原に咲き乱れる美しい花々を見ていると、どうもそれだけではない気がしてきた。
植物が“生”に貪欲になって自己主張した結果に美しい花を咲かせる、という現実的なことよりも、何か別なものがあるように感じてしまう。
それは人のDNAの内部に“花は美しい”と感じる機能が組み込まれているからなのだろうか。
そうではなく、地球で起きている正しい秩序にそったさまざまな連鎖が、人にとっては美しく映るのかな、と。
いやこれは人がそう感じるということでなく、実際に美しいものなのだろう。
宇宙人が見たとしても「この惑星は美しい」と思われるだろう、と(笑)
そうなると、地球は、放っておくと自然に美しくなっていく仕組みをもった惑星だと言えるかもしれない(自然の再生能力)
“放っておく”というのは人の手を加えないということ。
でも、人の手によって作られた日本庭園や田園風景は美しいものだと思うので、この限りではないけど・・^^;
この美しい惑星に生命をもって生きている我々生き物は、生きのびようとする意思をはじめっからインプットされている。
そしてその生きるための生物の競争・戦いも地球の美しさを保つ秩序の1つなのかなとも思う・・
なんだかものすごく壮大な話になってしまいましたね。
しかも、ルービー飲みながら書いているので、うまくまとまりません^^;
聴いている音楽はフランシス・レイが書いた映画音楽。
これは古きよきフランス文化の味があって、うっとりするようなメロディーの宝庫です♪
ちゃんちゃん