■人間ドックの後は、上野の国立西洋美術館で開催している『ヴィーナス展』を見てきた。

その近くの国立科学博物館では『ダーウィン展』というとても気になる催しもやっていて、どちらに行こうかと迷った。

でも、得てしてこういう『○○展』ってのは、期待のわりには肩透かしをくらう傾向があったので、本物の芸術品が見られる『ヴィーナス展』に行った。

でも、『ダーウィン展』のことも気になっていたので、頭のはじっこのほうで生物の進化についてなんとなく考えていた。

そしてふとこう思った。

■ふつう、生き物というのは地球(自然)の環境変化と戦い、変化に適応するために姿を変え(進化)、そして生き残ってきた。
そのうらでは多くの種が絶滅していったが・・

しかし、人、とくに現代人は“人が作りだした環境”に適応していかなければならない。
その種自らがつくりだした環境変化への適応を求められる、というめずらしい状況にある。

もちろん人も自然環境との戦いもあるのだけど、それよりも人がつくった“社会環境”の激変による戦いの方が大変な自体になっている。


それと、人の場合、“進化”というより“変化”といった言葉のほうが適切だ。


■交通機関や情報技術の発展については、“便利”などといったかわいい状況はとっくにとおりこして、過剰そのものだ。

駅のエスカレーター設置率と高い利用状況をみると、人は変化しているというより退化していってるんじゃないかと思う。
(短い距離でもエスカレーターを利用する人が圧倒的だ)。

基礎体力はなくなるし、気力も劣っていくような気がする。

進化しているのは機械だけ。

反対に、それを生みだした人間自体は退化していっている。

面倒ではあるが人がやるべき大切なことを機械に任せてしまい、人の能力はどんどん退化していってしまう(必要がないものは失われる)。

やっぱり、楽(ラク)は危ない。


■料理だって、どこどこのお店が美味い!という情報はあふれているのに、自分でつくることの楽しさや喜びといったことあまり前面にでない。

親が心を込めてつくった料理が子どもにとっていちばん美味いのには理由がある。

正直な話、料理のとっておきの特性スパイスは、真心なのだ(しーっ・・本当ですよ^^)

気持ちが入っていない高級料理店の料理より、気持ちが入っている僕の手料理の方がぜんぜん美味いんです!(言いすぎ?^^;)

こう考えると、お客さんのことを真剣に想ってつくった高級料理店の料理は相当美味いということになるけど(笑)



■ちょっと話はずれるが・・(またかい^^;)

買うまでに2時間も行列するドーナツ屋さんがある。
この前人からもらって食べた。
美味いけど2時間も並んでまで食べることがわからない。
近所のミスドだって十分美味い。
揚げていないからヘルシーだというのなら、ドーナツなど食べないで野菜を食べればいい。

あれはわざと行列をさせているんじゃないかな。
日本では行列は最大の広告になる。
“みんなと同じ流行”に左右されやすい国民性をもっとも上手く利用できた経営者の手腕でしかない。


もとに戻ります。

どこまでも人類が発展しようが人は生き物のほんの1つでしかない。
ここは変わらない。
そこから離れてはいけない。

ということで
現在の人類をダーウィンさんが見たらどんなふうに思うだろうか?ということを想像していました。
新・進化論なんかを書いて、「人類だけは退化してくめずらしい種だった・・」なんて結ぶかもしれない。


じゃんじゃん