■ハイヴィジョンでやっていた立川談志師匠の10時間スペシャル。
これはすごい!(まだ全部は見きれていませんが^^;)
カメラが師匠に付きっきりで高座はもちろん、私生活のドキュメンタリーもしっかりととらえていてとても興味深い。
師匠のどこまでも自然な人柄には壮絶さとある意味の安らぎを感じたし、とんでもない破天荒なエピソードには腹を抱えて大笑いした。
ダンカンさんが談志師匠からたけしさんへ弟子入りを変える申し出をする逸話は、今思い出しても笑える(笑)
今どきこんな素敵な人間はいないだろう。
■僕は昔から芸人をはじめ、あらゆる職業の人は、その仕事をまっとうしていればいい、私生活がどうであろうとそこは他人には関係のない世界だから、関与すべきではない、と思っている。
その芸や仕事がよければいいだけであって、私生活がどんなに荒れていようとそんなことは当人と家族の問題で、世間は見てみぬふりをする“粋”がないといけない。
しかし、最近の世の中はどんな立場の人でも私生活まで追っかけられる。
“1人にさせてくれない社会”がこういうところでも表れている。
会社でもこの傾向は強まっている。
「企業人として社会に恥ずかしくない行動をとろう」というような企業倫理がある。
これも「あいさつをしましょう」と同じで、人として当たり前のことにわざわざ標語にする滑稽さと、
そこまで管理されたくないという抵抗の、2つのことを思う。
ここも他人には立ちいれられたくない領域でもある。
おそらく当たり前の行動ができない大人がふえているということのあらわれだろう。
新聞紙面をにぎわしている社会的事件には、「なんでこんなことしちゃうかな?」と首をかしげてしまう。
社会的な地位が高いとか低いとかはもはや何の保障にもならない。
どんな立場の大人でもどんでもない事件を簡単に引き起こす世の中だ。
それに接するたびに、「なんでこんな事態になるまでこの人は知恵がまわらないのかなぁ」と思う。
最終的には幼稚な思考(判断)で事件をおこしてしまう。
■それと、企業は社員が問題を起こしてメディアに取りあげられてしまうと、業績にもろに響くことを恐れている。
だから、企業倫理などとまわりくどいことを言っているのだと思う。
ここもストレートに「君たちが問題を起こして新聞に載ると、わが社の業績が落ちるので、法にふれるような犯罪はやめてくれ!」と言ったほうがいい。
どこの会社でも企業倫理は掲げられているけど、それを読んだだけでは何を意図しているのかよく分からない。
曖昧だ。
それに「他の会社がやっているから・・」といった“猿まね”だけではなんの意味もない。
これらの根本的要因の1つに、自分でものを考えないからだと思っている。
自分ひとりだけでとことん突き詰めて考えに考え抜く、ということ。
苦しいときの答えを安易に出そうとしてしまうあまりに、自分の中から答えを引き出さない。
僕はずいぶん前から、「答えは自分のなかにしかない」と信じている。
それが一般と大きく乖離していても、自分の心から出した答えはその人にとって普遍的なものだ。
そもそも世の中に普遍的な考え(すべての世の中・社会に通じる完全なもの)などはじつはないとも思っている。
時代時代で世の中の常識は簡単に変わってしまう。
普遍的な答えは自分の内面にしかない。
いつも同じことを言っているけど、最近ますますそう感じる。
つづく・・
これはすごい!(まだ全部は見きれていませんが^^;)
カメラが師匠に付きっきりで高座はもちろん、私生活のドキュメンタリーもしっかりととらえていてとても興味深い。
師匠のどこまでも自然な人柄には壮絶さとある意味の安らぎを感じたし、とんでもない破天荒なエピソードには腹を抱えて大笑いした。
ダンカンさんが談志師匠からたけしさんへ弟子入りを変える申し出をする逸話は、今思い出しても笑える(笑)
今どきこんな素敵な人間はいないだろう。
■僕は昔から芸人をはじめ、あらゆる職業の人は、その仕事をまっとうしていればいい、私生活がどうであろうとそこは他人には関係のない世界だから、関与すべきではない、と思っている。
その芸や仕事がよければいいだけであって、私生活がどんなに荒れていようとそんなことは当人と家族の問題で、世間は見てみぬふりをする“粋”がないといけない。
しかし、最近の世の中はどんな立場の人でも私生活まで追っかけられる。
“1人にさせてくれない社会”がこういうところでも表れている。
会社でもこの傾向は強まっている。
「企業人として社会に恥ずかしくない行動をとろう」というような企業倫理がある。
これも「あいさつをしましょう」と同じで、人として当たり前のことにわざわざ標語にする滑稽さと、
そこまで管理されたくないという抵抗の、2つのことを思う。
ここも他人には立ちいれられたくない領域でもある。
おそらく当たり前の行動ができない大人がふえているということのあらわれだろう。
新聞紙面をにぎわしている社会的事件には、「なんでこんなことしちゃうかな?」と首をかしげてしまう。
社会的な地位が高いとか低いとかはもはや何の保障にもならない。
どんな立場の大人でもどんでもない事件を簡単に引き起こす世の中だ。
それに接するたびに、「なんでこんな事態になるまでこの人は知恵がまわらないのかなぁ」と思う。
最終的には幼稚な思考(判断)で事件をおこしてしまう。
■それと、企業は社員が問題を起こしてメディアに取りあげられてしまうと、業績にもろに響くことを恐れている。
だから、企業倫理などとまわりくどいことを言っているのだと思う。
ここもストレートに「君たちが問題を起こして新聞に載ると、わが社の業績が落ちるので、法にふれるような犯罪はやめてくれ!」と言ったほうがいい。
どこの会社でも企業倫理は掲げられているけど、それを読んだだけでは何を意図しているのかよく分からない。
曖昧だ。
それに「他の会社がやっているから・・」といった“猿まね”だけではなんの意味もない。
これらの根本的要因の1つに、自分でものを考えないからだと思っている。
自分ひとりだけでとことん突き詰めて考えに考え抜く、ということ。
苦しいときの答えを安易に出そうとしてしまうあまりに、自分の中から答えを引き出さない。
僕はずいぶん前から、「答えは自分のなかにしかない」と信じている。
それが一般と大きく乖離していても、自分の心から出した答えはその人にとって普遍的なものだ。
そもそも世の中に普遍的な考え(すべての世の中・社会に通じる完全なもの)などはじつはないとも思っている。
時代時代で世の中の常識は簡単に変わってしまう。
普遍的な答えは自分の内面にしかない。
いつも同じことを言っているけど、最近ますますそう感じる。
つづく・・