
「すごくおもしろい」なんてありきたりな表現はドンピシャじゃない。
そんな決まりきった台詞なんかとっくに超えている(べつに僕が父の征爾さんのファンだからそう言っているわけではないですよ)。
本を読む喜びとはこういうものだろう。
読んでいる僕をどんどん自由にさせてくれるし、迷走していた思考を元の状態に戻してくれる。
しかもこの作風はジブリアニメ『耳を澄ませば』を連想させた(この前TVでやっていましたね)
■主人公の励奈(レナ)とフユちゃん(冬彦)は子どもの頃からの幼馴染み。
今までの人生のいろんな場面でつねに一緒にいた。
お互い年頃になっても、“自然と仲が良い”関係がつづいている。
毎週金曜の晩には馴染みのお店「FAR AWAY」でご飯を食べながら話をする、付き合っているとかそんなことではないのだけど(心の底流ではそれを超えた信頼のようなものがあるが)。
考えてみると、人間関係ってこういうことでいいんだと思った。
“親友”“先輩後輩”彼女彼氏”“夫婦”とかいうのは、見方を変えればそういう枠に当てはめているだけのもので、たいして意味がないのでは。
同性でも異性でも、気があう相手だと自然と会うようになっていい関係になるもの。
また「付き合っている」からと言って何かをしなくてはならない、ということは本当はない。
人間関係にはいろんな呼称がついているが、無意識にそういう形に合わせた付き合い方をしようと無理してしまっているのではないかと感じた。
なんだかそれって本当は自然な状態でもうまくいける関係なのに、形に合わせることで、どこかの歯車が噛み合わなくなったりする・・・そんな勿体ないこともあるのだろう。
だから、彼女とか彼氏とか夫婦とか名称に拘らない、なんとなくいつでも会っている励奈とフユちゃんみたいな関係ってあるべき姿なんじゃないか。
この小説にはそんな自由な空気が流れていてとても清々しい。
とはいっても、やわなストーリー展開ばかりではない。
励奈は魅力的な人物であり、考え方や行動はものすごく素直でストレート。
そのせいもあって、時には厳しい現実に打ちのめされることだってある。
“チョボちゃん”のエピソードなんて、誰でも経験したことのある苦い失敗だ。
なので、僕も当時の心情が甦ってきて、自分が一瞬子ども時代に立ち戻ってしまったような錯覚をおぼえた。
「あ~、オレにもそういうことあったなぁ、あいつ、今頃どうしているかなぁ・・」って。。。
話に出てくるチャイコフスキーの大序曲「1812」やジャズピアニストのマーカス・ロバーツの話は、父の征爾さんの演奏会から征良さんが体験したエピソードなので、読んでいて思わずニンマリしてしまった^^
征良さんの前のエッセイ『おわらない夏』では、タングルウッドでの子どものころの眩い大切な想いを臨場感をもって大切に書いていった。
これを読んだときもすごく幸福感に満たされたことをおぼえている。
征良さんはなんてすてきな人たちに囲まれて育ってきたのだろう。
これからの作品がたのしみだ。