■この前、ハイヴィジョンで『OZAWA』というドキュメンタリー作品を観た。

これは小澤さんがボストン交響楽団の音楽監督を務めていた時代のもので、僕は学生のころに観たことがあった。

おそらく小澤さんが40歳代半ばか後半あたりのまだ若かりし頃のもの。
ルドルフ・ゼルキンやカラヤンも登場してきて、小澤さんの人との接し方が見てとれてとてもおもしろい。

この頃の小澤さんはどこか近寄りがたい雰囲気を持っている。
なんというか、気合が入りすぎてちょっと怖いような印象。

考えてみるとボストン響の音楽監督はたいへんな激務(アメリカのメジャーオーケストラでも屈指の仕事量)であるから、生半可な気持ちではとうてい勤まらない。
音楽、西洋社会での生活、また自分自身と本気で格闘していているので、余裕などはあるはずがない。
必然的にピリピリとしてきてしまう。

本人はそうしたくたくなくても、そうなってしまう状態のときはある。

ドキュメンタリーでは、チェリストのヨーヨー・マと、東洋人が西洋音楽をやることについて議論していて(お酒も入っていて)、つい神経質になって撮影を止めさせてまった。
後に、そのことをふかく後悔するシーンがあった・・

このころの小澤さんは本当に大変だったんだろうと思う。

幾多の超えるべき山を乗り越えて、人間的にある程度安定してきている人でも、大変な時期と言うのは誰にでもあるものだと思った。

本人もそれはどこかでわかっているので、自分自身が思っている自分の一面と違うことのギャップに驚きうろたえることだってある。

思えば、誰でもいろんな要素をもっていて、それが出るか出ないかの違いでしかないかもしれない。

僕も、温和だと思っている自分の性格でも、思いがけずイライラした面が顔を出して戸惑うことがあった。

そこで自分を修正しようとする・・
いやむしろ、そういう要素は否定するものでなく、それも自分の一部だと認識して歩んでいけばいい。

僕もいろんな面をもっているのだ。

むしろその方がおもしろいではないか。


■アストル・ピアソラの『グラン・タンゴ』を趙静(チョウ・チン)さんのチェロ、松本和将さんのピアノで聴いた(CD)

普段はヨーヨー・マとギドン・クレーメルの演奏でこの曲を聴いているが、趙さんのチェロはじつに透明で清楚な響き。
南米の情熱というよりももっと深遠でゆとりのある表現なのだ。

アルゼンチンの作曲家ピアソラの数ある楽曲でもとりわけ好きなこの曲は1980年にスラヴァ(ロストロポーヴィッチ)のためにつくられた。
タンゴの官能的で躍動感あふれるリズムのなかにとつぜん現れる哀愁に満ちた悲しい旋律。この苦悩と寂しさはとてもふかい・・
それを跳ね返すように踊りだすタンゴのたまらなくワクワクするメロディーがつづく。

ピアソラの『グラン・タンゴ』は、12分そこそこの曲の中に人生がまるまる納まっているようなすごい作品なのだ。