■現代に生きている人は、いろんな音や映像に取り囲まれて生活している。

電車に乗ってもドアの上にモニターがついていて、CMなんかを流している。

車内が混んでいると本も読めない。

モニターは見たくないけど、つい目がむいてしまう。

英会話のCMやらをなんだか強制的に見せられている感じがして、どうも落ち着かない。

気がつくと周りの人達もけっこうボーっと見ている。

この状況は、なんだかなぁ~、と思う。



■先日、臨床心理学者の河合隼雄さんの本を再読していたら、「ときには“引きこもり”も必要なこと」と書いてあった。

なんのことかと思って読んでいくと、だいたいこんな感じであった。


◆◆実は“引きこもり”は有害なことばかりではない。
人は、子どもの頃から1人っきりで物思いにふけることは大切で当たり前のこと。
自己と一対一で語りあう。
なのに、そういう機会を奪われて大きくなった子どもは、反動で重症な『引きこもり』になってしまう。
大人も同じように効率的な引きこもり体験をすることは必要。
電車のなかや、昼休みに1人でいる時間はリセットできる時間。
そんなときにケータイを使っていては(他者と繋がっているので)せっかくの貴重な機会を失ってしまう。
大人も1人でボーっと、もの思いにふける機会をうまく作り出すことが必要なのだ・・と◆◆


なろほど、そうだよなぁ。と思った。


■最近は浴室にTVやラジオをつける家庭がある。

分譲住宅なんかを買うと標準設備としてすでに浴室にTVがあったりする。

ウチは付けなかった(決してお金がないからではないですよ^^)。

子ども達を洗った後に、浴槽で1人でボーっとする時はいい。

昼間起こったいろんな事柄の整理ができる。

頭がリセットされてスッキリできるし、思いもしなかった“良い考え”が浮かんでくることもある。

ここにTVやラジオがあったらそうもいかない。

好きなクラシック音楽もここでは聴きたいとは思わない。


風呂から出てまたTVのスイッチをつけていたら、いつ自分と向き合う時間があるというのか?

こういう設備は本当に必要なものではないと思う。

ウチはますますTVを付けない生活になってきたので、子ども達が寝ちゃうと静かなものだ(それまでめっちゃ賑やか^^;)

朝はラジオを流しているが、ニュースが知りたいときは新聞を読むし、音楽も夜はそんなにかけない。
(ルービー飲みながら音楽はじゃんじゃん聴きますが^^)


なんでも便利な道具があるというのは危険なこと。

これはずっと学生のころから考えていることで、友達と飲みながらよく議論した。

今でも“便利”にはかなり懐疑的だ。

昔の頑固ジジイのようにまずは疑ってかかる(笑)。


■カーナビも同じくいらない道具だと思っている。

人間の大切な能力の1つが衰退してしまいそうで、今後も使わない。

例え道に迷っても、その出来事を楽しんでいる。

都内は東西南北をイメージしながら運転していると、だいたいは行きたい場所に行ける。

地方でも地図を見れば困ることはない。

だから、カーナビがあれほど普及するのが不思議だ。


“便利”を受け入れる代わりに、どんどん本能として備わっていた能力が劣っていく。

メーカーも販売者もそのことを意識しているわけではない(僕個人はできるだけ意識しているが・・)

だから自分たちで考えて、“便利”を選定していかないとならない、という難しい時代(国)でもある。



じゃんじゃん