■今朝のラジオで、大学生協がおこなったアンケートのことを言っていた。

「その場の空気をよむか?」という問いに対し、8割の学生が「YES」と答えているというもの。

このラジオではちょっと説明が足りなかった。


まともな人間なら自分以外の人がいる場で“空気をよむ”という気づかいをするのは当たり前だ。

問題はここではなく、その場の空気をよんだうえで、自分がどうしたいのか?自分の思ったことをちゃんと主張するか?それとも、言えなくて言いたい主張を呑みこんでしまうのか?・・ということだろうか。


よく言われる『KY』という言葉の意味は、単に空気が読めないということより、自分とその仲間以外の考えは認めない、お前の考えは排除するという、いかにも閉鎖的な雰囲気がするので好きではない。

多様性を認めない村社会精神がいまだにある証拠だ。

もし僕がそんなに意味もなく単に閉鎖的なだけの場にいたら、わざと『KY』になるだろう(現に何度もなっているし^^;)



■しかし、この『KY』ってのは今の日本をよく象徴している言葉(?)だ。

自己主張しづらい雰囲気のときがたまにある。
なんとなく意見を言えないようだったり、行動できなかったり・・

しかし、そこでやりたいこと(言いたいこと)があるのにやらないと、後からくる後悔の想いの方が苦しいことを知っている。

で、僕の場合、だいたい自分を主張してしまう。
これは性格上というところもあるが、スッと行動してしまう(だからみんなの中には身を置きたがらないのかもしれない・・)。

そういうときのテクニック(?)として、自分のそのとき置かれている状態を客観的に見る。
まるで幽体離脱でもして、どこか違う高い位置から、自分とその周りの環境を見ているようなね(どんなんじゃ・・)
そういう意識になると行動しやすいものだ。
がんじがらめの硬い雰囲気から自分の意識を開放させてあげるわけだ。


多様性を認めたがらない傾向がある。
なんでも同一化したがる傾向もある。


思えば、僕はこういうことには子どもの頃から反発していた。
理由はわからないけど、日本の形式的・表面的・閉鎖的な精神には肌があわなかった。

しかし、そのために客観的に物事を見るクセがついたし、問題意識を持つようにすることができた。

ほとんどの場合、みんなより一歩外にいて、それを見ている。


人の性格なんてそう簡単に変わるものじゃないし、変えるもんじゃない。
そのままでいい。

だから僕は『KY』かもしれない(笑)



昨夜は久しぶりにルービー(×5本)×マーラー×シューマン×バーンスタイン×ラフマニノフ=2時間完全燃焼!で、いい感じでムジークどっぷりの世界に行ってきました^^;

そのためこの文章もアバウトな部分があります。


じゃんじゃん