■読売新聞で「子どものおもちゃを考える」(子どもと消費者かな?)というようなシリーズがはじまった。

子どもとおもちゃ・・・

これはウチの家族にとって直面している問題で、いつもそのことを意識させられる。
この連載は1年間続くというので、読んでいきたい(できるかぎり参加もしよう)。


「今の日本は、子ども1人に対して6人の大人がいる。」という割合。
「子どもは3日に1回はなんらかの『プレゼント』を貰っている。」という現実。

子ども部屋はおもちゃであふれかえっている、という家庭はとても多い(ウチにも3人の子どもがいる。必要最小限に抑えてもそれなりにある)。

子どもは日ごろから魅力的なおもちゃを目にする機会がおおい。

TVと玩具メーカーはタイアップしてアニメ番組を企画し、関連商品を開発する。
番組スタートと同時におもちゃ売り場には新しいキャラクターがじゃんじゃん登場する。
こういうカンペキな図式がこの国ではかなり前から成立している。

民放のアニメ番組を見れば、合間に必ずキャラクター商品のCMがながれる。
子どもは本能のままにそれを強烈に欲しがる。
おもちゃをねだる子どもに、単に買い与えるのは簡単なことだ。
親は、ぐずる顔を見ないですむし、子どもに気に入られるからだ(親は単にそう思っているだけであって、子どもはそういう逃げ腰の親の態度を見破っている)


でも、ここに大きなワナが潜んでいる。


■先日観た映画『アース』では新作アニメ映画のCMが流れていた。
またしても(!)よくあるパターンのストーリー展開のアニメ。

弱虫だった主人公が仲間とともに勇気をふりしぼって悪を倒す・・

これは昔からよくある展開で、それ自体はそれほど気にすることではないが、『本物』と『偽物』は違う(絵画でいうオリジナルと贋作のように)。

製作者側に「このことをどうしても訴えたい!」というような本気の意思がなく、安易につくってしまう傾向が見うけられてしまうのだ。

そういう表面的で安易なものばかりを見せられつづける子どもは、あらゆる物事の『本物』と『偽物』の区別がつかない大人になってしまう懸念があると思っている。



やはり・・ここまで子どもを商売(経済)に利用してはいけないのだ。



かといって、それとまったく切り離すことがベストとは限らない。

現実の世の中は良い事ばかりではない。
世界の良い面も悪い面も知らないと、その人は個として確立して生きてくことは難しい。


この記事の最後にあった「今の子どもが大きくなったらどんな消費者になるのだろうか。」という文章。


消費者かぁ・・


それは、人を人としてではなく、資本主義社会を維持するための1つの部品でしかないかのような非人間的な言葉。

日本や多くの国々は資本主義経済を導入し、経済が重要な位置をしめていることは否定できない。

だから、この子どもをとりまく現状も時代の流れと言ってしまえば、そうとも言えなくもない。
ただ、そこに知恵を加えなければならない。
人がしあわせになるための知恵を。


■それに、これはなにも子どもばかりの話ではない。

大人もいっしょ。
大人=消費者という図式は子ども以上に“市民権”を得ているが、これも違うと思う。

僕は民放のTVをほとんど見ないので世の中一般の流行にあまり左右されない。
どこどこの美味しいお店が流行ろうが、こういう服や靴が流行っているとか、そういうことに意識がむかない。

たまに会社の同僚との会話でTVの話題が出るけど、「なるほどなぁ。TVの影響はすごいな~」と思って聞いている。

なんとなく、「人生楽しまなきゃ損だろ?!だから寒いなかでも行列してがんばって楽しんでいるんだよ!」というような焦りが見えるのだ。

それって楽しむこととは別なことではないのか?


世の中の流れに乗っているばかりでは、どこに流されるのかわかったものじゃない。


じゃんじゃん