■今までなら近所の映画館に行くと、だいたい観たい作品の1つや2つはあったものだが、ここんとこはそうもいかなくなってきた。

「どれもいまいち興味がわかないな~」となってしまう。

一歩さがって「いつも観ないジャンルの作品でもいいか・・」、という目線でもイマイチなのだ。
ちなみにホラーはぜったいダメ(^^;)

映画の作り手があまりに興行収入を意識しすぎて、“ウケる映画”しか作らなくなってきたかもしれない。
商業主義と芸術というバランスでは商業主義が圧倒的に勝ってしまっている(理想的なバランスではない。)

これは以前にも触れたことだけど、強固なポリシーをもった映画監督らしい監督が少なくなってしまったのだろうと思っている(これは観客の側にも要因がある)。

気骨のある作品が少ない(そういう作品は現在は必要とされていないのか?)。

映画館にはどんどん足を運びたいのだけど、肝心の観たい作品がないのではしょうがない。

とはいっても映画は観たい!

だからというわけでもないが、衛星放送やDVDを借りて観ることになる。

印象に強く残ったのはフランソワ・トリュフォー監督の『アメリカの夜』とベルイマン監督の諸作品。

トリュフォー監督作品は今更ながらはじめて観たんですが、とても自然で登場人物の誰もが暖かく見ていて幸せな気持ちになれた。
これは監督の人柄がそうさせているのでしょう。
とても寛大な心をもった人々が登場してきて、困ったときなどは助け合って生きていく、こういう人って素敵だなぁと思いました。

ベルイマンはすでに書いてきたとおりだけど、『第七の封印』を観そこなったのが悔やまれる。

衛星放送ではいまアカデミー作品集なるものをやっていて、先日はフェデリコ・フェリーニの『甘い生活』(今回はじめて見る)を、これからも往年の名作を放映する予定。


■映画や音楽に人々はなにを求めるのか?

やすらぎ、娯楽、哲学、教訓、幸福、気晴らし、真実・・

それはいろいろあるだろう。


作り手は社会の風潮、流行りを知っている。

作り手は自分の主張を二の次にして時代の安易な流れに合わせることができる。

ヒット作を作るのは市場動向やあるヒット作のパターンの模様をすれば、それほど難しいことではないかもしれない。

それよりも自分の内部にある魂の主張をする方が、今の時代はやりづらい。

歯がゆい想いをしている作り手は表舞台にはでないが、実際にはたくさんいることだろう。