
まずは、W・A・モーツァルトの交響曲第38番『プラハ』
このまえ、スコアを眺めながら聴いていてちょっと発見。
第1楽章では第一ヴァイオリンと第ニヴァイオリンがまったく同じ旋律を弾く箇所がなんどもあります(例えば画像のように展開部の冒頭とか)。
僕の聴いていた演奏(CD)はラファエル・クーベリック指揮のバイエルン放送響だったのですが、クーベリックはヴァイオリンを左右両翼に配置していた。
これにより、左右から同時に同じ旋律が聞こえてくることになる。広がりを感じる。
ここでのモーツァルトの狙いとは?・・と考える。
この箇所を聴いていると、どこか天国的な安らぎや、異空間を漂うような幻想というか・・
ちょっと不思議な世界にはいっていくような気がしました。
モーツァルトは「言葉的な思考」よりも「音楽的な直感としての感覚」をもってこの楽曲を書いたのだろう(彼の多くの楽曲がそうである気がする)。
それは聴く側のごく小さい想像でしかないのですが、そういうちょっとした気づきっていいものです。
モーツァルトの意図にほんの少し近づいたような気もするし。
それにしてもモーツァルトのシンフォニーのエネルギーはすごい、聴きはじめたとたんにどっぷりとモーツァルトの輝かしく、さまざまなドラマが交差する世界に入ってしまう。まるで“どこでもドア”でモーツァルトが生きていた時代のウィーンに行ってしまったかのような^^
日常生活から離れますね~。
■つぎはF・ショパンの『舟歌』(barcarolle)
これは昔っからショパンのなかでもっとも好きな楽曲かもしれない。
冒頭から南欧の海辺にいるような、小さい船にのって波と太陽をたのしんでいるような、そんな独自のリズムは、いきなり夢の世界へいざなってくれる。
中間部でのゆるやかにのぼっていくシーン。
僕はもちろんヨーロッパでは暮らしたことはないが、あたかもそこで生活したような気持ちになる。
しかも恋をしているような胸の高鳴りと、締め付けられるようなせつなさで、複雑な心境になってしまう(笑)
■そういえば、シューマンの『謝肉祭』には“ショパン”という名のつけられた小品がありますが、あれはかなりシューマン風なショパンに似た音楽ですね。
しかし、途中でいかにもショパンのような繊細な旋律があらわれてきておもしろい。
『謝肉祭』はシューマンのピアノ曲のなかでもとりわけ多彩で、あかるく、たのしく、愛らしい曲で、最近も聴いてたのしんでいます。
徒然なるままに書いてみました。
じゃんじゃん