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■先日、NHKでリャールズ・チャップリンの特集をやっていた。

未公開のアウトテイクス(NGフィルム)からチャップリンの実態に迫ろうというもの。


これはかなりおもしろかった。


アウトテイクスから人間チャップリンの実態が鮮明に浮かび上がっている。

彼の映画製作に対する意欲はとても強い。

撮りなおしは納得いくまで何度も行われる。

その回数が半端でなく多い。

しかも、撮りながらじゃんじゃん設定が変わる。

撮りながら自分の本当に描きたい世界を模索しているのだ。


この手法はピカソの創作姿勢と似ている。

はじめのデッサンや作品自体を途中からどんどん変形させてしまい、当初の姿とはまるで違う作品に仕上がるのだ。


■僕はチャップリン作品は小学校の低学年くらいから見続けてきた。

幼いながらも、彼の人間に対する優しい気持ちや、厳しい現実社会があるときことは理解できた。

小学校4年生くらいのときに代表作の1つである『黄金狂時代』をはじめてTVで観た。

深夜1時くらいからの放送だっただろうか。

眠いのをがんばって起きていて観たのだ。

一緒に観ようと言っていた姉や親戚の子どもは眠ってしまっていて1人で観た。

観はじめるととてもおもしろくて眠気などすぐにはすっ飛んでしまった。

そして途中、放浪者チャーリーの境遇がわかいそうで何度も泣いてしまった。

この体験によりチャップリンがまるで僕の一部分になってしまったかのような決定的な影響を与えた。

以来、幾多の作品を観てきたが、彼の深い人間愛に満ちていながら、常に人間全体の生き方を模索するような彼の姿勢を、僕は意識するようになったのかもしれない。


チャップリンの寂しい表情、うれしさが爆発したような笑顔、安心した表情、おなかの空いている顔、『街の灯』のラストで見せたあの笑顔・・・


「ああ、人間っていいなぁ・・」と何度も思わされた。


■ウチでは相変わらずTVはほとんど観ない生活が続いているんですが、子どもたちと一緒にチャップリン映画を観ようと思っている。

なにも自分と同じ影響を受けてもらおうとはまったく思わない。

ただ楽しく観れればいいのだ。

本当に優れた芸術作品には普遍的な力がある。

でも、その感じ方は自由。一様ではない。多様であるべきだ。

おそらく子どもたちはそれぞれ違った場面で反応し、いろんなことを感じるだろう。それがいいんだ。


■バッハとモーツァルトは学生のころはほとんど気持ちに入ってこなかった。

ベートーヴェン、ブラームス、マーラーといった内面も深ければ表面的にも激しい作品ばかり聴いてきた。

でも、そのうちバッハとモーツァルトに傾倒していく。

モーツァルト・・なんども同じ曲、同じ演奏者のCDで聴いていても、常にいろんな新しい発見と感動がある。

普遍的な力をもった作品とはこういうことかと思っている。

多面的・多角度的にみることができるし、そこには新しい発見があるものだ。


チャップリン作品にもその力がある。