■僕が通っていた足立区の小学校の下校時の音楽がウォルフ・フェラーリ作曲の『聖母(マドンナ)の宝石』間奏曲だったんです。
毎日この哀愁をおびた悲しいメロディーを聴かされて家に帰るんだけど「なんでこんな選曲なんだろう・・」と思っていた。
子ども心に妙に物悲しい想いになっていたのを覚えている。
もっと明るく楽しい曲にすればいいのに・・と。
ということで、この曲にあまりいい印象をもっていなかったんだけど、久しぶりに聴いたら、いい曲!でしたね^^
なんなんでしょうね。感覚の変化は?
美しいものをそのときは美しいとは分からなかった。
というよりか、意識の内面では分かっていたが、気持ちではそれが理解できなかったということかも。
■思い出した・・
その小学校の下校のとき。
道でお金が落ちているのを見つけた。
2千円。
当時の僕としては大金だ(今でも ^^;)
そのとき・・
そのままポケットに入れてしまうのは悪いことだと思った。
でも、ほしい・・
親にはお金を拾ったことを言った。
でも、拾った場所を違うところで教えた。
そのとき落とした人が現れない場合は、自分のものになることを知っていた(今もそうなのかな?)
そういうワル知恵がはたらいたのだ。
悪い子どもだ。
そのあと、そのお金を手にしたかは覚えていない。
それよりもウソをついたということだけを覚えている。
毎日この哀愁をおびた悲しいメロディーを聴かされて家に帰るんだけど「なんでこんな選曲なんだろう・・」と思っていた。
子ども心に妙に物悲しい想いになっていたのを覚えている。
もっと明るく楽しい曲にすればいいのに・・と。
ということで、この曲にあまりいい印象をもっていなかったんだけど、久しぶりに聴いたら、いい曲!でしたね^^
なんなんでしょうね。感覚の変化は?
美しいものをそのときは美しいとは分からなかった。
というよりか、意識の内面では分かっていたが、気持ちではそれが理解できなかったということかも。
■思い出した・・
その小学校の下校のとき。
道でお金が落ちているのを見つけた。
2千円。
当時の僕としては大金だ(今でも ^^;)
そのとき・・
そのままポケットに入れてしまうのは悪いことだと思った。
でも、ほしい・・
親にはお金を拾ったことを言った。
でも、拾った場所を違うところで教えた。
そのとき落とした人が現れない場合は、自分のものになることを知っていた(今もそうなのかな?)
そういうワル知恵がはたらいたのだ。
悪い子どもだ。
そのあと、そのお金を手にしたかは覚えていない。
それよりもウソをついたということだけを覚えている。