■先日の朝日新聞で、日本の調査捕鯨に抗議する欧米の反応についての記事が載っていた。
今回は愛着のあるザトウクジラが捕鯨対象に含まれているので、とくに各国の非難の論調は強い。
このクジラ問題の記事に接するたびに、国による文化の違いだけでなく、地域(国)ごとの立場や考え方の違いのことを考える。
■まず、日本に住んでいる僕は、そもそも、クジラは牛や豚とどこかどう違うのだろうか?と考えてしまう(ここが欧米の人と一番違う点だろう)
クジラだけ特別に神聖な生き物としては考えにくいのだ。
さらに、哺乳類以外で人が食する生き物である魚や鳥は、クジラと何が違うのだろうか(知能が高いとでも言うのか)。
同じ生き物の命をもらって人間は生き延びている。そのもらう命は、弱肉強食の世界を必死になって生き抜いて、種のバトンタッチを行なっている生き物たちだ(そこには植物も含まれる)。
人はそれを知っていて食べる(現代の我々は調理された肉しか見ないので、生き物を殺しているという実感は薄いだろうが・・)。
生きる為の知能をもった牛や豚や鳥と、クジラはどこかどう違うのだろう・・
同じ哺乳類である牛や豚は食べられてもかわいそうではないのか。
クジラ保護を呼びかける人は、他の生き物を食べないのだろうか。
彼らは自分を刺した蚊をつぶりたりしないのだろうか。
(それは屁理屈だととらえるのだろうか・・)
クジラ問題を考えるとき、どうしてもここに行き当たってしまう・・・
■欧米の人々の主張をも読みながら、冷静に平等に考えるように、物事を見定めるように努めるのだが、どうしてもその主張に100%同調できなくて、ここから先に進むことができない。
人の思考パターンというものは、地域(国)ごとにある程度異なるのだろうか?
例えば、広島と長崎の原爆問題にしても、日米国民の考え方は正反対だ。
これは、国やメディアがその一端をかっているのだと思っている。
もともと人間の知識は“ゼロ”であるので、乾いたスポンジに次々と同じような『赤い』知識が刷り込まれれば(その『赤』はなかなか拭いきれずに)、そういうもの(赤いもの)として疑うことができなくなるのかもしれない。
そうであれば、人間がまったくの平等な判断を下すというのは、とても難しいことになる。
クジラの問題に接するたびに、いつもそういうことを思っている。
そして答えはなかなか見えてこない。
じゃんじゃん
今回は愛着のあるザトウクジラが捕鯨対象に含まれているので、とくに各国の非難の論調は強い。
このクジラ問題の記事に接するたびに、国による文化の違いだけでなく、地域(国)ごとの立場や考え方の違いのことを考える。
■まず、日本に住んでいる僕は、そもそも、クジラは牛や豚とどこかどう違うのだろうか?と考えてしまう(ここが欧米の人と一番違う点だろう)
クジラだけ特別に神聖な生き物としては考えにくいのだ。
さらに、哺乳類以外で人が食する生き物である魚や鳥は、クジラと何が違うのだろうか(知能が高いとでも言うのか)。
同じ生き物の命をもらって人間は生き延びている。そのもらう命は、弱肉強食の世界を必死になって生き抜いて、種のバトンタッチを行なっている生き物たちだ(そこには植物も含まれる)。
人はそれを知っていて食べる(現代の我々は調理された肉しか見ないので、生き物を殺しているという実感は薄いだろうが・・)。
生きる為の知能をもった牛や豚や鳥と、クジラはどこかどう違うのだろう・・
同じ哺乳類である牛や豚は食べられてもかわいそうではないのか。
クジラ保護を呼びかける人は、他の生き物を食べないのだろうか。
彼らは自分を刺した蚊をつぶりたりしないのだろうか。
(それは屁理屈だととらえるのだろうか・・)
クジラ問題を考えるとき、どうしてもここに行き当たってしまう・・・
■欧米の人々の主張をも読みながら、冷静に平等に考えるように、物事を見定めるように努めるのだが、どうしてもその主張に100%同調できなくて、ここから先に進むことができない。
人の思考パターンというものは、地域(国)ごとにある程度異なるのだろうか?
例えば、広島と長崎の原爆問題にしても、日米国民の考え方は正反対だ。
これは、国やメディアがその一端をかっているのだと思っている。
もともと人間の知識は“ゼロ”であるので、乾いたスポンジに次々と同じような『赤い』知識が刷り込まれれば(その『赤』はなかなか拭いきれずに)、そういうもの(赤いもの)として疑うことができなくなるのかもしれない。
そうであれば、人間がまったくの平等な判断を下すというのは、とても難しいことになる。
クジラの問題に接するたびに、いつもそういうことを思っている。
そして答えはなかなか見えてこない。
じゃんじゃん