
これは仲道さんのデビュー20周年の記念演奏会(僕もクラシックの演奏会に通いだしてほぼ20周年^^)。
仲道さんの実演を聴くのは今回が初めてでしたが、かなり大満足でした。
毎回は味わえない本物の演奏を聴いたときの興奮や満足感があったし、高度な演奏技術に圧倒されましたし、ステージ上での愛嬌の良さに思わず笑ってしまったり^^と、さまざまな想いをさせてくれて本当によかった。
ベートーヴェンの『ワルトシュタイン』
堅実な音楽はこびで、まったく奇をてらうことのない精神性重視の正面勝負。
今まで聴いてきたどの演奏とも違う。
内面的に力強い音楽。
FFの音量も申し分ないのですが、その音は濁ることはない。
その後のラフマニノフやバラキエフでの超絶技巧!!
正直、驚いた。
僕はピアノの技術は分からないけど、とても高度なテクニックを要することだけは分かる。
ともにはじめて聴いた曲だけど、エキサイティングなおもしろい曲で、また聴きたくなった^^
アンコールで演奏されたショパンの『ノクターン(遺作)』
終盤のPPの繊細で温かく、やすらかな、まるで天国にいるかのような響き・・いったいどうやって弾いたらあのような音が出せるのか?などと感心した(笑)
仲道さんという人は、音楽を心から信じていて、とても愛している。
それと同じく、人や社会というものも信じている。
そういう落ち着きを感じました。
彼女は毎日いろんな出来事が世界中で起こっていることは知っている。
でも、どこかで『世界』を信じている。
可能性という曖昧なものではなく、確信的に信じている。
本人はそうは思っているかは分かりませんが、僕はそう感じました。
演奏そのものもが素晴らしかったのはもちろんそうですが、仲道郁代さんという人全体からかもし出される雰囲気がそう感じさせたのだと思います。
彼女自身のどんなことをも隠すようなことはしない、そのままの仲道さんがいて、ピアノを弾いている。
そんな自然さも魅力の1つですね。
なんだか、ベタ褒めですね^^;
すっかりファンになってしまったのでしょうか(笑)
あ~、しあわせな一日でした。
■彼女の最近のインタヴューやプログラム解説(自身で書いている!)を読んで改めて思うことがあった。
それは、仲道さんが『音楽は自分の人生のすべて』という風にとらえていない健全さ。
健全さというか、この人は「ちゃんと物事というものを知っているんだな」と思った。
毎日の生活という習慣を大切にしているというか・・・なんというか。
例えば、これが音楽でなく好きな人であったら、『あなたは私の人生のすべてです!』ということになるだろうか。
好きな人が現れたら、そう思う人はたくさんいるだろう。
でも、実際にはこの言葉どおりにはいかないものかもしれない。
「すべてではなく私の一部です。でも、もっとも大切な一部です」という言葉がいいのかな(変かもね^^;)
なんかそう言うと身も蓋もない、冷淡なヤツだなーと思われるかもしれない(笑)
ふと思ったが、音楽を愛する事や理想的な恋愛は、実はそれ自体が最終的『目的』ではなく、『手段』の1つなのかもしれない・・。
『全て』と言っちゃった途端にどこか依存的なところを感じる。
「オレには音楽がある」や「私にはあなたがいる」ということは決して間違いではないし、僕もそう思っている。
これは必要なこと。
人が何かを頼りに生きることは当たり前だし、そうでないとキツい。
苦しいときはお互い助け合わないと!
でも、そこで終わってしまう・満足してしまう事はちょっと違うと感じるのだ。
あえてそういう(目的と手段)くくりをして考えてみたけど、本当の目的は、自分自身をみつめて、思考や生き方を必死で探し求めて、少しずつ納得できるような『何か』を見つけて、内面の成長を繰り返すこと。
その追求や模索には決して終わりがなく、延々と高みを目指す。
そういう過程が「人が生きるということ」なのかな、と感じたのです。
(とても抽象的で分かりづらいですよね。もっとうまく表現できるようになったらまた書いてみます)
音楽によるとてつもなく大きな感動や理解、人を死ぬほど好きになる熱い感情も、じつは何かを見つけるための手がかり・・・
そう考えるとこの世の中で生きることは、思っている以上に可能性が広がる。