■この言葉、最近よく耳にする。

聞くたびに、どこか気持ち悪いというか、しっくりこない気持ちになっていた。

それが何なのか分かってきた。


■これは刑を重くすることで犯罪を抑止しようという構図と似ている。

人を殺していけないのは、刑務所に入れられるからではない。
シートベルトをしなくてはいけないのは、警察につかまるからではない。
社会秩序を守らないといけないのは、コンプライアンス上ひっかかるからではない。

どの根っこもみな同じだ。

しかも、どれも真正面から問題を正視していないし、真剣に取り組んでいないように思う。
どれも『法律』や『決まり事』といったことの“せい”にしている。

本人の問題としてとらえていない。

本来なら、自分ならこの問題に対してどう考えて、どんな答えを出すのか!!?という思考する過程があるべきだと思う。

誰かが決めたものに則るだけというのは、その人は本当に納得していないし理解していない。
理由も分からずに「守ればいいんだろ」という形だけのものになってしまう。

コンプライアンスに抵触することが問題ではなくて、そういう行動が人間としてどうなのか?が問題なだけだ。

■子どもにシートベルトをさせるときに、「事故にあったときにコレが救ってくれるんだよ」と言う。
「お巡りさんに捕まるからだよ」とは言わないようにしている。
子どもは「なんで○○は○○なの?」といった質問をよくする。
「なんでご飯を食べるの?」「なんでお風呂にはいるの?」とか、そのうち「どうして人を殺してはいけないの?」と訊いてくるだろう。
そういうときは、僕は自分なりの考えを言う。
世の中に正解はない。お父さんの言うことはその子どもにとって正解じゃないかもしれない。
最終的にはその子が自分で考えていくしかない。

こういう考える過程が人にはとても大切なことだと思っている。

この部分が抜け落ちているように思えてならない。


箱だけ。中身がスカスカの箱だけ・・



まあ、こうでもしないと当たり前の判断ができないほど、我々は駄目になってしまったのかもしれない。