■『2001年宇宙の旅』はまた後日ということで、とりあえずこの映画。
先日TVで放送していたので、見てみた。
全体的におもしろく、感動するシーンが多かった。
特に子どもの描き方はよかった。
子どもは、どうしても主張をとおしたい時は、ぜったいに引かないもので、身体全体で挑んでくる。
小説家のもとに帰りたい一心で、小説家の再三の拒否にも無言で首を横にふってふんばる。あの表情はよかったなぁ。
残念なのは、民放で放送していたことと、ちょうどこの続編公開日が翌日だったため、宣伝がやたらと目立っていたこと。
映画の途中であんなにも続編の予告をさせると、この先のストーリーが分かってしまうし、過剰な宣伝姿勢にうんざりしてしまう。
まあ、そもそもこの『三丁目の夕日』自体が続編ありきで作られているようなので、製作側としては無理もない話しかもしれないが、はじめてこの作品を観る人達にとっては良心的な放送ではない。
今の映画は、産業の面が強いので、興行収入や視聴率がどうしても気になり、前面にきてしまう。
劇場で流される新作のCMは、ほとんどのストーリーを紹介してしまい、「さて、最後にこの男はどういう決断をするのでしょう?!」という具合に、あらすじの大半をCMで紹介してしまう手法をとる場合が多い。
これも「なんだかなぁ~」って感じですよ、『クモ男』シリーズとかね(笑)
そこまでしてヒットさせないといけないのだろうか?と思う。
純粋な観客の「映画を楽しみたい!」という気持ちを理解していないのではないか?
これは作り手だけの問題ではない。
この現状に満足してしまう観客であることが、僕としては一番残念なことなのだ・・・
■ちょっと脱線してしまったが、この映画で描かれている昭和30年といえば、今から半世紀前の話し。
この映画が大ヒットした理由は、今もその時代に生きていた人が多く「古きよき時代」を懐かしむ心がまだ我々にあるということが前提(実際に良い時代だったんだろう僕も思う)となって、郷愁の心に響くというか、じゃんじゃん希望に向って昇りつづける黄金の時代を懐かしむことができるからだろう。
そこで、今から50年後に同じような映画が作られたらどう思うだろうか。
■2057年公開映画『ALWEYS 六本木の喧騒』
もうその頃になると地球の温暖化が予想以上に進行してどうしようもなくなっている(火星や宇宙ステーションへの移住も珍しくない)。
日本では平均気温が5℃以上も上昇してしまい、夏季にはとても東京には住めたもんじゃない。
そこで多くの日本人は東北や北海道、もしくは避暑地として世界的にメジャーなシベリアやアラスカへ行ってしまい、六本木周辺はほとんど人がいない状態・・
「いやぁ、『六本木の喧騒』、おもしろかったな。」
「ああ。それにしても、2007年の六本木は、いろんな人でごったがえしてして、かなり活気があって賑やかだったなー!」
「そうだよな、あの時代はさ、ケイタイというモノが流行っていてさ、メールとかでいろんな人と出会えてさ、今考えると人類史上最高のコミュニケーションをとっていたものなー。」
「今なんかさ、そういった道具なんていらない便利な世の中になったけど、生身の人と接することなんか稀だもんな。おまえだってロボットなんだしさ。」
「え?オレがロボットだって?なに言ってるんだよ。オレは人間だよ!ちゃんと働いて家族もいるし、時には映画だって観るしさ、お前と同じじゃん。」
「なに言ってんだよ!ほら、これ持ってるか?人間であることを証明するこのチップ」
「・・なんだ、それ?」
「ほら、もってないだろ!だからお前はロボットなんだよ。自分がロボットであるということも忘れてしまうくらい精巧に出来ているんだから困っちゃうよな。」
なんて会話は行き過ぎているが、2057年の人間も2007年を懐かしんで感動したりするのだろうか?と考えた。
僕は、未来の人も感動すると思う。
時代というものは1分、1秒たりとも停滞しない、常に進んでいくものだろう。
そして、自分が生まれたときと高齢に達したときの時代の変化は、相変わらず物凄いものなのだろう(たまに、アフリカや南米の人達のように数百年も同じ暮らしをしている場合がある、あの姿勢は今考えるとすごくまともな考えに思えてならない)。
だから、高齢になればなるほど時代のギャップが大きいので、幼少の時代が良かったのか悪かったのか分からないが、『懐かしい良い思い出』という感情がでるのが自然なことだと思う。
この映画がもっと興行収入などのしがらみから関係のない条件で作られていれば、もっともっと良い作品になっていたのではないだろうか。
というところで、ちょっともったいない作品だった。
じゃんじゃん
先日TVで放送していたので、見てみた。
全体的におもしろく、感動するシーンが多かった。
特に子どもの描き方はよかった。
子どもは、どうしても主張をとおしたい時は、ぜったいに引かないもので、身体全体で挑んでくる。
小説家のもとに帰りたい一心で、小説家の再三の拒否にも無言で首を横にふってふんばる。あの表情はよかったなぁ。
残念なのは、民放で放送していたことと、ちょうどこの続編公開日が翌日だったため、宣伝がやたらと目立っていたこと。
映画の途中であんなにも続編の予告をさせると、この先のストーリーが分かってしまうし、過剰な宣伝姿勢にうんざりしてしまう。
まあ、そもそもこの『三丁目の夕日』自体が続編ありきで作られているようなので、製作側としては無理もない話しかもしれないが、はじめてこの作品を観る人達にとっては良心的な放送ではない。
今の映画は、産業の面が強いので、興行収入や視聴率がどうしても気になり、前面にきてしまう。
劇場で流される新作のCMは、ほとんどのストーリーを紹介してしまい、「さて、最後にこの男はどういう決断をするのでしょう?!」という具合に、あらすじの大半をCMで紹介してしまう手法をとる場合が多い。
これも「なんだかなぁ~」って感じですよ、『クモ男』シリーズとかね(笑)
そこまでしてヒットさせないといけないのだろうか?と思う。
純粋な観客の「映画を楽しみたい!」という気持ちを理解していないのではないか?
これは作り手だけの問題ではない。
この現状に満足してしまう観客であることが、僕としては一番残念なことなのだ・・・
■ちょっと脱線してしまったが、この映画で描かれている昭和30年といえば、今から半世紀前の話し。
この映画が大ヒットした理由は、今もその時代に生きていた人が多く「古きよき時代」を懐かしむ心がまだ我々にあるということが前提(実際に良い時代だったんだろう僕も思う)となって、郷愁の心に響くというか、じゃんじゃん希望に向って昇りつづける黄金の時代を懐かしむことができるからだろう。
そこで、今から50年後に同じような映画が作られたらどう思うだろうか。
■2057年公開映画『ALWEYS 六本木の喧騒』
もうその頃になると地球の温暖化が予想以上に進行してどうしようもなくなっている(火星や宇宙ステーションへの移住も珍しくない)。
日本では平均気温が5℃以上も上昇してしまい、夏季にはとても東京には住めたもんじゃない。
そこで多くの日本人は東北や北海道、もしくは避暑地として世界的にメジャーなシベリアやアラスカへ行ってしまい、六本木周辺はほとんど人がいない状態・・
「いやぁ、『六本木の喧騒』、おもしろかったな。」
「ああ。それにしても、2007年の六本木は、いろんな人でごったがえしてして、かなり活気があって賑やかだったなー!」
「そうだよな、あの時代はさ、ケイタイというモノが流行っていてさ、メールとかでいろんな人と出会えてさ、今考えると人類史上最高のコミュニケーションをとっていたものなー。」
「今なんかさ、そういった道具なんていらない便利な世の中になったけど、生身の人と接することなんか稀だもんな。おまえだってロボットなんだしさ。」
「え?オレがロボットだって?なに言ってるんだよ。オレは人間だよ!ちゃんと働いて家族もいるし、時には映画だって観るしさ、お前と同じじゃん。」
「なに言ってんだよ!ほら、これ持ってるか?人間であることを証明するこのチップ」
「・・なんだ、それ?」
「ほら、もってないだろ!だからお前はロボットなんだよ。自分がロボットであるということも忘れてしまうくらい精巧に出来ているんだから困っちゃうよな。」
なんて会話は行き過ぎているが、2057年の人間も2007年を懐かしんで感動したりするのだろうか?と考えた。
僕は、未来の人も感動すると思う。
時代というものは1分、1秒たりとも停滞しない、常に進んでいくものだろう。
そして、自分が生まれたときと高齢に達したときの時代の変化は、相変わらず物凄いものなのだろう(たまに、アフリカや南米の人達のように数百年も同じ暮らしをしている場合がある、あの姿勢は今考えるとすごくまともな考えに思えてならない)。
だから、高齢になればなるほど時代のギャップが大きいので、幼少の時代が良かったのか悪かったのか分からないが、『懐かしい良い思い出』という感情がでるのが自然なことだと思う。
この映画がもっと興行収入などのしがらみから関係のない条件で作られていれば、もっともっと良い作品になっていたのではないだろうか。
というところで、ちょっともったいない作品だった。
じゃんじゃん